常盤御前とトゥイード

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常盤御前は、平安時代の女のお方ですよね。
源 義経のお母さんなんだそうです。幼名は、牛若丸と呼ばれて、後に、源 義経に。
常盤御前といったいどのような関係にあるのか、常盤新平。常盤新平は、優れた翻訳家であり、後に作家になった人物でもあります。
翻訳家から小説家になった人は珍しくないでしょう。たとえば、丸谷才一だとか。たぶん翻訳作業は、小説の練習にもっとも効果的であるのでしょう。
一方、翻訳家を経ずして小説家になったお方も。ひとつの例ではありますが、山口 瞳。
山口 瞳を師と仰いだのが、常盤新平。ある時、常盤新平は山口 瞳に文机を贈ったことがあるらしい。その文机を見た山口 瞳のひと声。
「うん、これぞ、常盤御膳」。
常盤新平は数多くの翻訳をこなし、創作を成し、また随筆をも多く上梓しています。その中のひとつに、『アメリカが見える窓』が。この中に、「スーパー・リッチの生態」があります。

「………鉄道関係で百万長者にのしあがったダイヤモンド・ジム・ブラッディは三十組の宝石を持っていた。金額にして二百万ドルだってという。」

そんなふうに書いています。はるか遠い昔のことですからねえ。
ダイヤモンド・ジム・ブラッディの、「三十組の宝石」とはいかなる代物であったのか。
たとえば、カフ・リンクス。それが機関車の形になっていて。プラチナの台にダイヤモンドが鏤められていたんね。
まあ、これは手始めで、「スーパー・リッチ」がどんなふうにお金を遣うものか、詳しく述べられています。
常盤新平が翻訳家になる前は、「早川書房」の編集者だった時代が。この頃、編集者の
常盤新平は、イギリスの作家、ロアルド・ダールに東京で会っています。むかしの、
「パレス・ホテル」で食事を一緒にしたそうですね。
ロアルド・ダールの短篇に、『外科医』があります。外科医の名前は、ロバート・サンディ。
ロバート・サンディは偶然のことから、ある王子の命を救う。そのお礼に100万ドルの値打のダイヤモンドを貰うという粗筋。
ところで、外科医のロバート・サンディはふだん何を着ているのか。

「………ロバート・サンディが、今こうしてツイードの古ぼけたジャケットのポケットに五十万ドル以上もするダイヤモンドを入れて、オックスフォードの通りを自転車で走っているとは!」

これはオックスフォードの宝石店で鑑定してもらう前の様子。
それはともかく、外科医ロバート・サンディがトゥイードの上着を着ているのが、分かるでしょう。
トゥイードとウイスキイは、どこか似ているところがあります。
十九世紀までのウイスキイは、「スコットランドの地酒」という印象だったらしい。
トゥイード tw e ed も、倫敦に伝えられたのは、1820年代のこと。それまでは、ほとんど英國人には知られていなかったのですね。
二十世紀に入ってからも、「野趣を愛でる」というやや風変わりな趣味の生地であったでしょう。少なくとも正式な場所にふさわしい生地ではなかったのですから。
「野趣を愛でる」。どなたかそんなカントリー・ジャケットを仕立てて頂けませんでしょうか。

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