ブラッサイとブロケード

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ブラッサイは、フランスの写真家ですよね。ブラッサイの代表作は、『夜のパリ』でしょうか。
写真集『夜のパリ』を観ると、ブラッサイを「写真家」と決めつけてよいものかどうか、迷ってしまいます。
『夜のパリ』の内側にあふれているのは、「詩情」だから。生まれついての詩人に写真機を預ければ、こんな画面が定着されるのではないか、と思われるほどに。
事実、ブラッサイは写真だけでなく、詩も書き日記も書き文章も書いています。

「そしてマイヨールが現れた。ケープ付きのたっぷりとしたマントをはおり、頭には小さなバスクのベレー帽、年齢に似あわずかくしゃくとしている。まるでペンキ屋かバスク地方のペロタ競技者のようないでたちだ。だぶだぶの灰緑色のコーデュロイのズボン、薄いベージュ色のジャケットにエスパドリーユをつっかけている。」

ブラッサイは1936年12月19日 土曜日の『日記』に、そのように書いています。
この日、ブラッサイは、アリスティード・マイヨールの自宅を訪ねたので。
自宅なのにどうして、マントを羽織っているのか。
マイヨールは、ヴァン・ドンゲンの家に行っていて、ちょうど帰ったきたところだったので。
それにしても。1936年に、マイヨールがどんな恰好であったのかがよく分かる貴重な日記でもあるでしょうね。
資料といえば。1924年に、ブラッサイ自身が被写体になった写真が遺っています。ヴァンセンヌの森で、「ティハニ」と並んで立つブラッサイの姿。
ブラッサイは、グレイ・フランネルらしき三つボタン型のスーツを着ているのですが。前裾のカッタウエイがほとんど感じられません。直線に近い前裾になっているのです。1924年の巴里では、そんなスタイルが流行だったのでしょうか。
ブラッサイには、『語るピカソ』の著書があります。1964年の刊行。
『語るピカソ』は、1930年代以降、ピカソとブラッサイとの交友を描いた書。主に、
ピカソのアトリエに出入りする藝術家が、どんな会話を交わしたのかの記録なのですが。
この中に。

「お仕着せを着た運転手の運転する高級車イスパノ・シュイザ、有名店で仕立てた服、血統書付きの犬、大ブルジョワ好みの二階続きのアパルトマン、ノルマンディーのシャトー……………。」

ブラッサイは、ピカソの生活ぶりをそんなふうに紹介しています。
ここでの「イスパノ・シュイザ」は、私たちがいうところの、「イスパノ・スイザ」のことかと思われるのですが。
ブラッサイが出てくるミステリに、『カッティング・ルーム』があります。2002年に、
ルイーズ・ウェルシュが発表した物語。

「……………女優ルイーズ・ブルックの肩越しの視線、ブラッサイの撮った誘うような娼婦たちの写真まである。」

これは、女優のアン=メアリの自宅を訪ねた、室内の様子。
また、『カッティング・ルーム』には、こんな描写も出てきます。

「<ズム・ズム生地店>のウィンドウ内では、前髪を高く上げた三体のマネキンが、シルク生地やブロケード生地をまとってダンスのポーズをとらされている。」

「ブロケード」br oc ad e は、繻子地に、文様を散らした凝った布地のことです。
「泰子は皆が和服を着ているのに、その晩に限って、白いブロケードの支那服を着て、耳に翡翠らしい青色のとろりと溶けそうな艶のイヤリングをつけていた。」

昭和三十三年に、円地文子が発表した小説『女面』の一節にも、そのように出ています。
「白いブロケード」。憧れですね。
どなたかブロケードのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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