オリーヴ色とオックスフォード・バッグズ

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オリーヴ色は、オリーヴ・グリーンのことよね。
橄欖色とも。オリーヴを「橄欖」とも呼ぶので、橄欖色の名前もあるようです。
オリーヴ色は、微かに黄身がかった緑を指すんだそうですね。少なくとも青蛙のようなペンキ塗りたての緑ではありません。

「緒方は厚い鞣皮のやうな感じのする、濃いオリーブ色の中折れ帽子を其儘、窓硝子につけ、腕組をして眼をつぶつて居た。」

大正十一年に、志賀直哉が発表した小説、『暗夜行路』に、そのような一節が出てきます。
大正十一年は西暦の1922年ですから、今からざっと百年ほど前のことでしょうか。
これは「緒方」が、「三の輪」から「人形町行」の電車に乗っている場面。
志賀直哉は、「濃いオリーブ色の」と書いていますが。高級の、舶来のソフト帽を連想させる形容でもあります。
事実、1940年代以前には、ヴェロア調の、オリーヴ色の、高価なソフト・ハットが少なくなかったものです。
単なる色名であるにもかかわらず、そこから品質の高さを匂わせることもあるのでしょうね。

「……………オリイブ色の玉スコッチの手編のショオルをピンで留めて、黒のカシミアの手袋を穿めて居る。」

小栗風葉が、明治三十九年に書いた『青春』にも、「オリイブ色」が出てきます。小栗風葉は、「オリイブ色」と表記しているのですが。また、『青春』には何度か「オリイブ色」が描かれるのですが。

「将軍のあとに続いてオリーブ色の新式の軍服を着けた士官が二三人通る。」

夏目漱石が、明治三十九年に発表した『趣味の遺伝』にも、そのように出てきます。
これは当時の新橋駅。語り手は新橋駅にいて、そこを歩く人たちを眺めている場面なんですね。
夏目漱石も、小栗風葉も、同じく明治三十九年の小説に、「オリーブ色」を登場させているのです。これは単なる偶然なのでしょうか。

「先頃より白木屋に陳列されししやぼんだま模様の如きオリーブの地色に金茶にて玉を描き、玉の中に焦茶藍鼠等の色を用ゐて……………。」

明治三十六年『國民新聞』十二月十五日付の記事に、そのように出ています。見出しは、
「新流行 オリーブ色」となっているのですが。
夏目漱石も、小栗風葉も、『國民新聞』のこの記事を読んだ、とまでは申しませんが。なにかの関連があるように思えてなりません。いずれにしても、明治三十六年の日本で、オリーヴ色が流行だったのは、まず間違いないでしょう。

オリーヴ色が出てくるミステリに、『フライアーズ・ポードン館の謎』があります。
1931年に、英國の、フィリップ・マクドナルドが発表した物語。

「肌の色は、小説にはよく出てくるが実際にはなかなかお目にかかることのできないオリーブ色。」

これは、「ノーマン・サンズ」という三十代の男性の顔色について。
また、『フライアーズ・ポードン館の謎』には、こんな描写も出てきます。

「最近では幅の広いのが流行っているからな ー ズボンのことだが。」

これは「ライリー」の会話の一部として。
『フライアーズ・ポードン館の謎』の時代背景は、おそらく1920年代末かと思われます。
ということは、「オックスフォード・バッグズ」を連想させるではありませんか。
「オックスフォード・バッグズ」の言葉は、1927年『ダンシング・タイム』誌1月号に出ています。これがわりあい早い例でしょう。
1920年代後半。「オックスフォード大学」の学生が、一刻も早くゴルフがしたいがために考案したもの。
それはプラス・フォアーズの上から重ねられる太いトラウザーズだったのです。教会での礼拝の後、ゴルフ場に直行して、ズボンを脱げばプレイできたわけですから。
どなたか純白のフランネルでトラウザーズを仕立てて頂けませんでしょうか。

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