ラシーヌとランドリー

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ラシーヌは、フランス十七世紀の劇作家ですよね。ジャン・ラシーヌ。
ジャン・ラシーヌは、1639年12月21日に、シャンパーニュ地方に生まれています。さぞかし美食家だったことでしょう。
本名は、ジャン・バティスト・ラシーヌ。名前に「バティスト」とあるくらいですから、おしゃれなお方でもあったのでしょうね。
ラシーヌの代表作は、『フェードル』でしょうか。時代背景は、古代ロオマ。十七世紀から眺めても、古典劇。
『フェードル』の初演h、1677年1月1日。巴里のブルゴーニュ座で。

「ラシーヌは悲劇『イポリート』を執筆中で、成功が期待される」

当時、ラシーヌの友人だったピエール・ベエルの、ミヌトリ宛の手紙に、そのような一節があるらしい。日付は、1676年10月4日になっています。
ということは、初演の寸前まで、ラシーヌは『フェードル』を書いていたのではないでしょうか。おそらく役者の練習はごく短かったと思われるのですが。
ところが。ラシーヌにも毀誉褒貶あって。なにもラシーヌの味方ばかりではなかったようで。
『フェードル』とほぼ同じ内容の演劇を、「ゲネゴー座」で、上演。それも、二日の間をおいて。当時の貴婦人、マダム・セヴィニエはこのように予言したそうですね。

「ラシーヌはコーヒーの流行と同じで、そのうちに廃れるでしょう。」

その時代の巴里は珈琲流行期だったので。珈琲が廃れなかったように、ラシーヌもまた廃れることがなかってのですが。
1677年の『フェードル』初演で、主役の「フェードル」を演じたのが、その頃、三十五歳だった、ラ・シャンメレ。シャンメレはまた、ラシーヌの戀人でもあったそうですが。
舞台俳優としての「フェードル」は、なかなかに難しい役どころなんだそうですね。
ラシーヌは、シャンメレに、つきっきりで科白回しを教えたと、伝えられています。

ラシーヌが出てくる小説に、『六十の手習ひ』があります。昭和五年に、正宗白鳥が発表した物語。

「………左右に書物棚があつて、仏蘭西本がギツシリ詰まつてゐた。モリエールラシーン、コルネーユ……………………。」

正宗白鳥は、「ラシーン」と書いているのですが。おそらく「ラシーヌ」のことかと思われます。
また、『六十の手習ひ』には、こんな描写も。

「お前は、ランドリー ( 洗濯所)に奉公してゐるのか。」

これは物語の主人公がニュウヨークの床屋で尋ねられる場面なんですが。
洗濯は、洗濯。ランドリーはランドリー。明治の頃のランドリーは、「西洋洗濯」と呼ばれたんだそうですね。

「障子を開けて縁側へ出た彼女は、つい鼻の先にある西洋洗濯屋の物干を見ながら、津田を顧みた。」

大正五年に、夏目漱石が書いた『明暗』の一節に、そのような一節があります。おそらく漱石の近所にも「西洋洗濯」があったのでしょう。今の言葉なら、「クリーニング店」でしょうか。
スーツはクリーニングに限ります。クリーニングとは溶剤で洗うやり方。これなら丸洗いが可能。
ただし、後のプレスが大切。スーツは立体のかたまりですから。丸く、立体に仕上げなくてはなりません。
どなたか高級洗濯に出したいような高級スーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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