輝ける第二の肌
Tシャツについての説明は不要だろう。その拡げた形が「T」字に思えるので、Tシャツ。単純明解である。Tシャツなのではあるが、時に tee shirt と綴ることもある。
Tシャツはアメリカに生まれて、世界中を席巻したウエア。世界のほとんどの国にTシャツが着られ、「Tシャツ」で通用する。あえてイギリス英語で表現しようとするなら、「シングレット」 singlet だろうか。
現在のTシャツ原型が生まれたのは、1900年代のことであろう。これはアメリカ海軍の必要から誕生ものである。ごく大まかにいって、十九世紀の男の下着はコンビネーション型であった。ユニオン・スーツとも呼ばれた上下ひとつながりの下着。
ユニオン・スーツ型の下着は、嵩張る。収納にも困る。まして狭い艦内においては。そこで上下別々に切り離した下着が好都合だったのである。この上下別々の下着が、アメリカ海軍によって正式に採用されたのが、1913年のことである。ただし「Tシャツ」と呼ばれるのはもっと後のことだが。最初は番号であった。「No.217」と、「No.218」と。「No.217」は、今のタンクトップ型。「No.218」が、Tシャツ型であった。
1910年代には、「ゴブ・シャツ」 gob shirt の名前もあった。「ゴブ」は「水兵」のことで、水兵用のシャツであったからだ。あるいは「スキーヴィ・シャツ」 skivvy shirt とも。
「エモリーはニューイングランドの学校に出立するために、夏用の下着六揃いと、スェーターを一枚、Tシャツを一枚と用意した。」
これは1920年に発表された『楽園のこちら側』の一節。スコット・フィッツジェラルドの小説である。フィッツジェラルドは1920年には、二十四歳になっていた。フィッツジェラルドは1917年、アメリカ陸軍に入っている。おそらくそこでTシャツに出会ったのであろう。小説に登場する「Tシャツ」としては比較的はやい例である。
1951年の映画『欲望という名の電車』にTシャツが出てくるのは、よく知られているところであろう。もちろん、マーロン・ブランドによって。原作は、テネシー・ウイリアムズで、1947年の戯曲。1948年に舞台での上演。そして映画化が、1951年のこと。
ただし『欲望という名の電車』の原作に「Tシャツ」と明記されているわけではない。Tシャツとジーンズは若き日のマーロン・ブランドの普段着で、それにエリア・カザンが着目した結果であろう。
「ディーンは筋肉質の首を丸め、冬の夜だというのにTシャツで車を爆走させつづけた。」
1957年刊『オン・ザ・ロード』の一文。ジャック・ケルアックの話題作。ただしケルアックが友人のニール・キャサディと旅をしたのは、1947年のこと。テネシー・ウイリアムズが『欲望という名の電車』を発表年である。ケルアックが実際に『オン・ザ・ロード』を書きはじめたのは、1949年。ケルアックが自宅でタイプライターに向かう時、Tシャツ姿が多かったという。『オン・ザ・ロード』は、数多く「Tシャツ」が出てくる小説でもある。
ケルアックはビート・ジェネレーションの元祖でもあって、『オン・ザ・ロード』を読んでTシャツを愛好するようになった若者も少なくないだろう。
「Tシャツはファッションにおけるアルファーであり、オメガであると、私はいつも考えている。」
ジョルジュ・アルマーニは、『ザ・ホワイト・T』の序文に、そのように述べている。『ザ・ホワイト・T』は、1996年に刊行された、アリス・ハリスの著書である。