絖は、絹のひとつですよね。糸篇に光と書いて、「ぬめ」と訓みます。
読んで字のごとく、張りと光沢のある生地のことです。
絖は、天正年間に、中國から、京都、西陣に伝えられた、五枚繻子のこと。天正年間は、十六世紀のことですから、古い話であります。
「ぬめのぼうしのいせびくに……………………。」
享保二年に、近松門左衛門が書いた『国姓爺後日合戦』にも、そのように出ています。
これは、「絖の帽子」のことです。「伊勢の比丘尼」が、絖の帽子をかぶっているとの、描写なのです。
絖は張りがあるので、帽子などにもよく用いられてという。
「私に短冊を書けの、詩をかと云つて來る人がある。さうしてその短冊やら絖やらをまだ承知もしないうちに送つて來る。」
夏目漱石著『硝子戸の中』に、そのような一節があります。
ここでの「絖」は、書を書くための色紙に似たもの。ただし色紙よりも立派なものであったでしょうが。
『硝子戸の中』は、大正四年の発表。少なくとも大正のはじめまでは、絖に書や絵を書くことがあったものと思われます。
絖をはじめとして、絹織物は、今も昔も、「西陣」が名高いものです。
室町時代、「応仁の乱」がありまして。西軍の、山名宗全がこの地に、陣を張った。ここから「西陣」の地名が生まれたんだそうですね。
応仁の乱は十五世紀のことですから、今から五百年以上も前の話でありますが。
「西陣といふは絹屋のあまたある所なるが、一とせ黒船わたらず糸高直なるゆゑ……………………。」
寛永五年刊の、『醒睡笑』にも、そのように出ています。
ある年、異国の船が入ってこなかったので、糸の値段が高騰して。そんな内容になっているのでしょう。
「恐れながら私は。上京西ぢんおりどの屋の孫三郎と申者。十七に成ねんきのおり手。」
享保三年の古書、『傾城酒呑童子』に、そのような一節が出てきます。
これは、「西陣織問屋の孫三郎」の意味かと思われるのですが。
近松門左衛門は、「西ぢんおりどの屋」と、書いています。
「唐織・絖・ビロード・金らん・ちりめん・厚板などの高級品は西陣の独占のようなものであった。」
三瓶孝子著『染織の歴史』には、そのように出ています。
古代、弥生時代から日本で織られていたのは、麻。もしくは麻に類する「布」であったという。
つまり、もともとは麻織物のことを、「布」と呼んだのであります。
庭に立つ 麻手刈り干し 布さらす 東女を 忘れたまふな
『萬葉集』の秀歌にも、詠われています。これもまた、「麻」なので、「布」と詠んだわけですね。
昔、六本木に「布」という名の和食屋がありましたが、あれは「麻」の意味だったのでしょう。
どなたか白麻の「布」で完全なるスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。