ブランディングとフランネル

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

ブランディングは、英國の城の名前ですよね。「ブランディング城」。
「ブランディング城」。もうこれだけで笑いはじめる人がいるかも知れませんが。
かのP・G・ウッドハウスのユウモア小説に出てくる城の名前であります。ブランディング城の当代の城主が、第九代エムズワース伯爵という設定になっています。
ウッドハウスといえば、「バーティ物」でよく識られています。が、この「バーティ物」と並ぶ、もうひとつの続き物が、「ブランディング城物」なのですね。
ウッドハウスは、1915年に『サムシング・フレッシュ』を執筆。これがはじめての
「ブランディング城」物となるわけであります。アメリカの『サタデイ・イヴニング・ポスト』に発表されています。
ウッドハウスで想うことのひとつに、「ダリッジ・カレッジ」。英國の私立校であります。この「ダリッジ・カレッジ」に学んだ人物に、レイモンド・チャンドラーがいるのです。
チャンドラーは、1888年の生まれ。ウッドハウスは、1881年の生まれ。さあ、二人は「ダリッジ・カレッジ」で、顔を合わせているでしょうか。
えーと。「ブランディング城」の話でしたね。
ブランディング城はさすがに「城」というだけあって。客室の数、五十三室。このうちのひとつ、「ガーデン・スイート」は、その昔、エリザベス一世をお
泊めしたこともあるんだとか。
それとは別に、家宝展示室もあって。ここには「グーテンベルグ聖書」も収められていて。
使用人の数、ざっと五十人というのですから、およその規模が窺えるでしょう。
もちろん、「ブランディング城」は、ウッドハウスの創作ですよ。でも、愛読者とは嬉しいものでありました。「ブランディング城」のモデル探しを。ウッドハウスはきっと実在の城をヒントに「ブランディング城」を描いたのだろう、と。

「………すべての場所の半径三十キロ内において、ウェストン・パークとシュードリー城だけが明らかにまごうことなき、ウッドハウスの述べていた「私の記憶する場所のまざり合ったところ」なのである。」

N・T・P・マーフィー著『本当のブランディングズ城』の中で、そのように書いています。
著者のマーフィーは、長年の調査の結果、ついにブランディング城のモデルを見つけたのであります。
このシリーズのひとつ、『エムズワース卿の受難録』を読んでいると。

「朝の光は、水辺の草原を横切ろうと急ぐエムズワース伯爵の次男フレディ・スリープウッドの白いフランネルのスーツにも振り注いでいた。」

この季節は、夏でしょう。当時のホワイト・フランネルは、盛夏の服装だったからです。
どなたか完璧な白のフランネル・スーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone