茶粥とちぢみ

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茶粥は、美味しいものですよね。あくまでも、「茶粥」ですから、茶漬とは違います。
茶で煎じた粥のことです。第一、消化にたいへんよろしい。
ものの本によりますと。茶粥にも大きく分けて、二つがあって。「入れ茶粥」と、
「揚茶粥」。冷飯で作るのを、「入れ茶粥」。また、米から作るのを、「揚げ茶粥」。
そもそも茶粥は、奈良からはじまったとの説があって。「奈良茶」とも呼ばれたんだそうですね。
古くは、「苧粥」と呼ばれたらしい。芋粥と書いて、「うじゅう」と訓んだそうですが。昔、東大寺、興福寺からはじまったという。
むかし、奈良、猿沢池のほとりに、「名物奈良茶漬」の暖簾を下げた店があって。「柳屋」。ここは古閑な構えの店で、奈良茶の一流とされたんだそうですね。

「今世、右の水を多くし炊きたるを白粥と云ふ。これ茶粥に対する言なり。」

喜多川守貞著『近世風俗志』には、そのように出ています。
『近世風俗志』は、またの名前を、『守貞漫稿』とも。江戸期の読める百科事典です。
『守貞漫稿』を読んでいますと。

「近年は奈良半晒の物、ちゞみ、いずれも高直なり。」

そんなふうに出ています。「高直」と書いて、「こうじき」と訓ませているのですが。値段が高いの意味でしょう。
当時は、「ちゞみ売」の言葉があって、季節になると、ちゞみを売りに来たんだそうです。たいていは、小千谷から。それで、「小千谷縮」の言葉があるわけですね。

「ソコデ縮の儘で縮上つて、絽の羽織有てもやくにたたず。そちこちする内に堀へ着て上つたのさ。」

文化十年に、式亭三馬が書いた、『浮世床』にも、そのように出てきます。ここでの「堀」は、山谷堀。これから吉原へ行こうという算段なんですね。

「梯子段の上のとっつきが一畳程の板の間になり、周吉が廊下の障子を開け拡げて、クレップの襯衣一つで、玉子色の塩瀬裏や……………………。」

昭和八年に、林芙美子が発表した短篇『牡蠣』に、そのような一節があります。「周吉」は、職人という設定になっています。
林芙美子は、「クレップ」と書いているのですが。これまた、「縮」のひとつでしょう。
ただし絹ではなく、綿の縮。
どなたかシルクの縮でシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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