アルカイックと麻の葉

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アルカイックは、古いことですよね。
arch a ic と書いて、「アルカイック」と訓むんそうですね。では、どのくらいに、「古い」のか。ざっと紀元前7世紀頃に遡るんだそうですから、気が遠くなってしまいます。
アルカイックのつく言葉でよく識られているものに、「アルカイック・スマイル」があるでしょうか。
アルカイック・スマイルは、「古式の微笑」。古くは、「古拙の微笑」とも言ったらしい。
たとえば、『ジョコンダ』。あのモナリザの微笑。あれもまた、「アルカイック・スマイル」のひとつなのでしょう。
アルカイック・スマイルはなにも西洋だけでなく、日本にもあります。
一例ではありますが。京都、太秦、「広隆寺」の国宝に、「宝冠弥勒」が鎮座しておりまして。やはりそのお顔にアルカイック・スマイルを浮かべていらっしゃいます。

「すべては一回きり、ただ一度だけ、アルカイックが繰返されるはずはない。」

志村ふくみ著『私の小裂たち』に、そのような文章が出てきます。
志村ふくみは、紬の第一人者。手染め、手織りによる紬を藝術品に仕上げたお方。
ある時、志村ふくみは、さる美術館の依頼で、「鈴虫」を織って、収めた。と、美術館から返されて。その理由が。
「アルカイックがない………」
というものだったと、志村ふくみは書いているのです。「鈴虫」は、昭和三十四年に、
志村ふくみが織った紬の名前。その「鈴虫」をもう一度再現して欲しいとの依頼だったのです。が、返されて来て。
「アルカイック」がない、と。この場合の「アルカイック」は何でしょうか。「古拙」でしょうか。
「さあ、織ってやろう」という自意識の表れでしょうか。
たしか紀元前7世紀の作家には、「自意識」は今より少なかったでしょうが。

昭和二十年代末。志村ふくみは、「資生堂ギャラリー」で、初個展を。この時、観に来てくれたのが、富本一枝。富本憲吉の妻。またの名前を、尾竹紅吉。平塚雷鳥とも仲良しだった人物。
富本一枝は、志村ふくみの作品をひとまわり眺めて、言った。

「今日の会場で見るべきものなし。」

志村ふくみ著『私の小裂たち』には、そのように書いてあります。
言いも言ったり。なかなか言えないですよね。
言ったほうの富本一枝も立派なら、言われた志村ふくみも、立派。その富本一枝のひと言を励みとして、精進を重ねたわけですから。もし私が志村ふくみの立場だったなら、その一言で挫折していたでしょうが。
織物の柄のひとつに、麻の葉があります。
麻の葉文様は、鎌倉時代すでにあったという。もともとは六角の連続文様。日本には珍しい幾何学模様でもありましょう。
この幾何学模様が、麻の葉に想えるところから、「麻の葉文」と。
江戸期に入ってからは、裃の生地に、麻の葉文がよく用いられたそうです。
この麻の葉文を、「絞り」であらわしたものを、「半四郎鹿子」とも。歌舞伎役者の、
岩井半四郎が好んだことから。
また、産着にも、麻の葉文が。麻の葉はすくすく育つので、それにあやかって幼児には麻の葉文を着せる習慣が生まれたんだそうです。

「すると彼の眼の前の濃紫の麻の葉模様がさっと横に動いて、沢子の敏捷な体は彼の足の上をこえた。」

昭和二十二年に、野間 宏が書いた『青年の環』に、そのような一節が出てきます。
藤木沢子は洋装で、それが「麻の葉模様」になっているのでしょう。まさに古典柄のひとつだと言えるでしょう。
どなたか麻の葉の完璧なシャツを作って頂けませんでしょうか。

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