モットーは、標語のことですよね。
m ott o と書いて、「モットー」と訓むわけです。英語としては、1589年頃からのものであるらしい。
英語のモットーは、イタリア語で「言葉」の意味がある「モット」 m ot から来ているのだろうと、考えられているようですが。
第二次大戦中に、日本での標語に、「ぜいたくは敵だ」というのがありました。衣食住のすべてにおいて、物資払底なのですから、ぜいたくのできるはずがありません。街を歩くと、
「ぜいたくは敵だ」の標語があちこちに貼ってあったものです。
その標語に誰かが一字書き添えてあって。
「ぜいたくはス敵だ」
まあ、いつの時代にも粋にお方がいらっしゃるということなのでしょうが。
「苟も婦人の前で冗談を言はないと云ふのが、日頃この男の格箴であつた。」
明治四十二年に、森田草平が発表した『煤煙』のなかに、そのような一節が出てきます。
森田草平は、「格箴」と書いて、「モツトー」のルビを振っているのですが。
『煤煙』での「モットー」。小説にあらわれた「モットー」としては、比較的はやい例ではないでしょうか。
「そのときも、話は先生のモットーであつた則天去私ということに移つて行つた。」
大正六年に、安倍能成が書いた随筆、『夏目先生の追憶』には、そのように出ています。
文中の「先生」が、夏目漱石を指しているのは、言うまでもないでしょう。
安倍能成はその日付をはっきり覚えていて。大正五年十一月十六日、木曜日だと。つまりはこれが、最後の「木曜會」でもあったのですが。
「則天去私」は、晩年の漱石が確信した標語でありました。「私心を忘れて天の法則に従いなさい」の意味でしょうか。
ある時、安倍能成が「木曜會」に行くと、部屋に良寛の掛軸がかかっていて。芥川龍之介もいたらしい。そこで芥川龍之介が、漱石に訊いた。
「先生、良寛が腹を立てなかったのは、なぜですか?」
これに対する漱石の答え。
「いや、そうではない。良寛だって腹の立つことはあったさ。ただ、そのことを引きずらなかっただけだ。」
およそそんな意味のことを芥川龍之介に伝えたという。
これも、安倍能成の『夏目先生の追憶』に出て話なのですが。
モットーが出てくる小説に、 『戀愛対位法』があります。英国のオルダス・ハックスリーが、1928年に発表した物語。
🎶 いつも明るく朗らかに、これがおいらのモットーさ……………………。
これは当時の流行歌の一節として。
「いつも明るく朗らかに」。これをモットーにしたいものですね。私を忘れて、天の定めに従えば、自然にそうなるのかも知れませんが。
また、『戀愛対位法』には、こんな描写も出てきます。
「………ジョン・ビドレイクのボタン穴の蘭の花が、蛇があくびした顔に似ている。目にはめこまれた彼の片眼鏡がキラキラ光った。」
片眼鏡。「モノクル」m on ocl e ですね。
少し古い言い方ですと。「クイジング・グラス』q u izz ing gl ass 。
一説に、モノクルの登場は、1806年のことであったという。
少なくとも1810年頃に。アイルランド出身の詩人、トオマス・モアは、モノクルの愛用者だったと伝えられています。ディケンズも小説の中で盛んにモノクルを登場させています。
当時のモノクルは、紳士気取りの小道具で、小説の材料としては恰好のものであったのでしょう。
モノクルはたいてい金か銀の枠があって。一方の端に丸い小さな穴が。ここに紐を通して、下げられるようにしておいたものです。
眼に安定しやすいように、「ギャラリー」がつくことも。ギャラリーは、細い「安定枠」のこと。
どなたか金の洒落たモノクルを作って頂けませんでしょうか。