グラスは、コップのことですよね。グラスでできた器なので、「グラス」。ワイン・グラスだとか、ブランデー・グラスだとか、リキュウル・グラスだとか。
ところで、コップなのか、カップなのか。日本語の歴史としては、コップのほうが古く、カップのほうが新しい。カップは英語で、明治以来の言葉。
コップは、オランダ語の「コポ」 c op o から来ているらしく、江戸時代にすでに用いられているようですね。
コップを、「洋杯」と書いたのが、森 茉莉。
「巴里で飲んだのよりも上等らしいライン・ワインを、冷やして洋杯で飲んだとき…………………。」
森 茉莉著『ロココの夢』に、そのように書いています。そして、「洋杯」の横に、「コップ」のルビがふってあります。
「生のコーンビイフに生の長ねぎをまぜましたのはドイツのオペラの地下室でいただいた生の挽肉のサンドイッチにそっくりなので……………」。
森 茉莉が、三島由紀夫に宛てた手紙の一節。1968年1月4日の日付になっています。
手紙を一読する限り、三島由紀夫が森 茉莉に、あれこれと食材を贈ったらしい。森 茉莉はそれらをサンドウイッチにして、食べた。そのことの、礼状かと思われます。
森 茉莉は、『食い道楽』の中に、こんなふうにも書いています。
「私は食いしん坊のせいか、スウェターの色なぞも、胡椒色、ココア色、丹波栗の色、フランボアズのアイスクリーム色なぞが好きで、また似合うのである。」
これなども、森 茉莉ならではの文章でありましょう。
グラスが出てくる小説に、『フランドルへの道』があります。1960年に、クロード・シモンが発表した物語。
「彼の前にグラス ( 口の大きくひらいた小さい逆円錐形で細い脚がついている) を置き、なにか水みたいに透きとおった無色の液体をグラスに注ぐのを眺めるのだったが………………」。
また、『フランドルへの道』には、こんな描写も出てきます。
「縞のズボンにグレーのシルクハットあざらしの口髭をはやしボタン穴に勲章の略綬をつけた………………」。
『フランドルへの道』は、実験小説でもあって、センテンスの長い文章になっているのですが。
ここでの、「グレーのシルクハット」は、グレイ・トッパーのことかと思われます。
アスコット・モーニング。つまり、グレイ・モーニングに最適の、ライト・グレイのトップ・ハットのことです。
あたかも薄いクリスタル・グラスを扱うように、大切にしたいものですね。