『西部戦線異状なし』は、本の題名ですよね。
ドイツの作家、レマルクが1928年に書いた長篇。これは第一次世界大戦を背景にした物語であります。
『西部戦線異状なし』は当時、拍手喝采となった小説で、1930年には映画化もされています。これは小説でも話題となり、映画でも人気となった例とも言えるでしょう。
「………将校女郎部屋の女たちは軍隊の命令によって、絹の肌着を着ていなければならない……………………。」
レマルクの『西部戦線異状なし』にはそんな描写も出てきます。
レマルクは、1898年6月22日。ドイツのオスナブリュックに誕生。『西部戦線異状なし』以前のレマルクは、主としてジャーナリストでありました。
昭和三年に『西部戦線異状なし』を日本語に訳したのが、秦 豊吉。
日本語訳者、秦 豊吉は昭和八年の五月、原作者のレマルクを訪問しています。
その頃のレマルクは、スイスの片田舎、アスコナという村に住んでいたんだそうですが。
秦 豊吉は単線の電車とバスとで、アスコナに着き。そこからは、タクシー。タクシーの運転手に、「西部戦線異状なしの作者の家に」と言っただけで、車は走り出したという。
「………女中を呼んで、大きな薪を積んだ石造りの暖炉の前のテーブルの上に、ウイスキイ、ベルモットなぞの瓶をのせた盆を持ってこさせた。」
秦 豊吉は、訪問の様子をそのように書いています。ここからも想像できるように、秦 豊吉は、レマルクに歓待されたのでしょう。
『西部戦線異状なし』が出てくる伝記に、『ディートリッヒ』があります。ディートリッヒの娘、マリア・ライヴァが書いた、マレーネ・ディートリッヒの伝記なのです。
「………ヘミングウェイの全著作が、何ヵ国にも訳されたエーリッヒ・マリア・レマルクという作家の『西部戦線異状なし』というただの一冊の本に取って代わられていたが……………………。」
これは1938年頃のディートリッヒの身辺の様子について。
たぶんディートリッヒにとっても読んでおきたい一冊だったのでしょう。あるいはまた、
ディートリッヒも目を通したくなるほどに、流行った書物だったのですね。
伝記『ディートリッヒ』には、こんな話も出てきます。
「…………黒貂で何をつくるかということがディートリッヒ一家の問題となった。」
これは1948年頃の話として。もちろんディートリッヒの衣裳に工夫を凝らしている場面で。
黒貂は、毛皮の「セーブル」のことかと思われます。
「………大しやう寺とのよりくろてんまいる。」
『御ゆとのの上の日記』、天文七年十二月九日の件に、そのように出ています。
おそらくは大聖寺から、黒貂が届けられたの意味かと思われるのですが。
日本でも古くから黒貂が珍重されていたのでしょうね。
「…………同じ黒でも貂の毛皮ぐらい着なければな。」
シェイクスピアの『ハムレット』の一節。もちろん、ハムレットの科白として。
英國のヘンリー八世の時代。伯爵以下の身分の者は、黒貂すなわちセーブルを着てはならないとのお触れが出たという。
ここから今に、「ア・スーツ・オブ・セーブルズ」は、「豪華な宮廷服」の意味になるんだとか。
どなたかセーブルの外套を仕立てて頂けませんでしょうか。