コーヒーとコンチャ

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コーヒーは、飲物のひとつですよね。
「コーヒー・ブレイク」なんて言うではありませんか。
人が、いったいいつからコーヒーを飲むようになったのか。よく分ってはいないんだそうです。でも、おそらくエチオピアにはじまっているのではないか、と。
エチオピアには、「コーヒーノキ」が自生していたものと思われます。
ひとつの説として。コーヒーの効用を発見したのは、羊飼いだったとか。ある時、羊たちが陽気に騒いでいる。「なんだろう?」と思ってみると。赤い実を食べていた。それがコーヒーノキの実だったんですね。
ふつう「コーヒー豆」といいます。が、ほんとうは、コーヒーノキの実の中の種。種を天日に干して、煎ると、いわゆる「コーヒー豆」になるわけです。
コーヒーノキは時期になると、白い花を咲かせ、赤い実をつけるのであります。

コーヒーを歌った歌に、「コーヒールンバ」がありまして。

🎶 昔アラブのえらいお坊さんが…………。

たしか、そんなふうにはじまるんでしたね。
昭和三十六年のヒット曲。西田佐知子が歌っていました。もともとはスペインの楽曲で、1958年の「モリエンド・カフェ」。これは「コーヒーを挽きながら」の意味なんだそうですが。
コーヒーの歌で、もうひとつ思い出すのが、「一杯のコーヒーから」。
昭和十四年の流行歌。

🎶 一杯のコーヒーから……………………。

そんな歌い出しだった記憶があります。歌は、霧島 昇。

「一杯のコーヒーから
 夢の花咲くこともある」

そんなふうにはじまる随筆に、『一杯のコーヒーから』があります。
昭和五十四年『ドラマ』八月号に発表された読物です。

「覚えているのは、あの日、プラスチックのカップで飲んだ薄いコーヒーの味くらいです。」

向田邦子は、『一杯のコーヒーから』の中に、そのように書いています。
昭和三十年頃の話として。その頃の向田邦子は、「雄鶏社」の編集者だったのですね。当時、「毎日新聞」の今戸公徳に、「一杯のコーヒー」を誘われて。副業としての脚本を頼まれる。それで、向田邦子が書いたシナリオが、『火を貸した男』だったのです。
というよりも、この「一杯のコーヒー」から、「脚本家 向田邦子」が生まれたわけであります。

コーヒーが出てくるミステリに、『ゲームの名は死』があります。1962年に、アメリカの作家、ダン・J・マーロウが発表した物語。

「通りをへだてたところに食料品屋とレストランが一緒になった店があったので、そこでベーコンと卵とコーヒーで軽く食事をとり……………………。」

これは物語の主人公、アール・ドレークの様子として。
『ゲームの名は死』には、こんな描写も出てきます。

「おれは彼女の足を見た。貝殻を型どった銀色の鋲を打ちこんだカウボーイ・ブーツをはいていた。理由はないのだが、その靴を見てこの店の繁盛ぶりがわかるような気がした。」

これは「ディキシ・ビッグ」というダイナーでの様子。もちろん、アールが眺めているのですが。
ここでの「貝殻を型どった銀色の鋲」は、「コンチャ」c onch a のことかと思われます。
もともとはスペイン風俗で、そこからアメリカ西部に伝えられたものでしょう。カウボーイの服やベルトの飾りなどに多く用いられたものです。
「貝殻」は古代の硬貨でもあったもので、つまりは「富」を象徴する文様でありました。要するに「コンチャ」は縁起の良い飾りだったのです。
どなたかコンチャの似合うレザー・ジャケットを仕立てて頂けませんでしょうか。

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