扇子と背広

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扇子は、扇のことですよね。英語なら、「ファン」でしょうか。フランスなら、「エヴァンタイユ」。
今、世界中に扇子に似たアクセサリイがあります。でも、扇子が生まれた国は、日本なのです。中世から日本の扇子が送られて結果、世界にも扇子らしきものが拡がったものであります。
日本の扇子は発明国だけあって、優れています。畳んだ時、より薄く、平たく畳めてしますから。
「扇子」は「扇」に較べて、新しい言葉。もともとは、「あふぐ」扇ぐだったのですね。動詞である「あふぐ」から名詞の「扇」が生まれたのであります。

扇子がなくてならない商売に、「噺家」が。扇子ひと棹で、蕎麦を食う時の箸になり、舟を漕ぐ時の櫓になってくれる。まことに重宝であります。これ、俗に、「見立て」って言いますね。
「見立て」も、日本ならではの文化なのでしょう。ほんとうは扇子でしかないのに、名人が手に操れば、どう見ても蕎麦屋の箸にしか見えません。
江戸のはじめ、扇子は凝りに凝った美術品となりました。俵屋宗達の『風神雷神図』は、有名でしょう。「俵屋」は京都の、扇面絵師だったと考えられています。
特殊な空間に念入りの絵を描くことから、独特の藝術が生まれたものと思われます。扇子絵師もまた、日本だけの文化なのなのです。

背広を着た時に扇子はどうなのか。扇子は和服にこそ、ふさわしいとの考え方もあるでしょう。でも、日本人が日本で着る背広なら、よろしいのではないか。ただ、スーツにふさわしい「扇子袋」があると、いいでしょうね。

明治二年に、古川節蔵は書いた『絵入り智慧の輪』に、はじめて「背広」の言葉が使われていまます。
この古川節蔵に「背広」の言葉のあることを教えたのが、福澤諭吉。
福澤諭吉はどうして「背広」を知ったのか。
幕末の洋服師、佐藤与次郎から教わって。「背広」の言葉は、佐藤与次郎考案の職人用語だったのですね。
どなたか明治はじめの背広を再現して頂けませんでしょうか。

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