印半纏は、半纏のひとつですよね。半纏はまあ、カーディガンにも似た日本の着物でしょうか。ざっかけないものであります。
半纏は半纏なんですが、そこに大きく屋号なんかが入っていて、それが印半纏。印半纏ですから、すぐに身分が分かる。身分と申しますか、「どこの店の者」は分かる仕掛けになっています。たとえばイギリスのブレイザー にも似ているのかも知れませんが。
「としごろハ四十ぐらゐ大工か左官らしきふうぞくしるしばんてんももひきはらかけ三尺おび……………。」
明治三年に、仮名垣魯文が書いた『安愚樂鍋』に、そのような一節が出てきます。ここでの「しるしばんてん」は、たぶん印半纏のことでしょう。
これは明治のはじめ、浅草、蔵前の牛鍋屋、「高籏」での様子を活写したものです。その頃の東京では「牛鍋」を食べるのが流行ったものと思われます。
「………時時目暗縞の腹掛に赤い筋の入つた印半纏を着て、突つ掛け草履か何かでよく表歩いてゐた。」
夏目漱石が大正二年に書いた『硝子戸の中』に、そのような文章が出てきます。漱石が昔のことを想い出している場面。おそらく時代は明治でしょう。
その頃、漱石の家の近くに、「席亭」があって。その席亭の主人が、「鳶頭」でもあって。それが「印半纏」を着ていた、というところにつながってゆくわけです。席亭は、今の寄席のことですね。
漱石は『硝子戸の中』で、「目暗縞」と書いています。もちろん「目くらじま」のことでしょう。
印半纏もそうですが。「腹掛け」も職人が愛用した作業着。無理矢理近いものを探せば、チョッキでしょう。腹掛けには大きなポケットがついていて、これを俗に「どんぶり」。「腹掛けどんぶり」は、このポケットを指す言葉だったのですね。
「女で印半纏に三尺帯締めて、股引を穿かずにゐるものもある。」
明治四十二年に、森 鷗外が発表した『鶏』にそのような一節が出てきます。
鷗外は、明治三十二年に、九州、小倉に派遣されているのですが。その時代を描いたのが、『鶏』なのです。ただし、主人公は「石田」となっているのですが。この「石田」の朝の様子も描かれています。
石鹸は七十銭位の舶来品を使つてゐる。何故そんな贅沢をするのかと人が問ふと、石鹸は石鹸でなくてはいけない。
そんな文章が出てきます。もし「石田」が鷗外だとすると、輸入品の高価なシャボンを使っていたものと思われます。
どなたか明治の舶来品を想わせるシャボン作って頂けませんでしょうか。