宣伝と背廣

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宣伝は、アドヴァタイジングのことですよね。広告のことでもあります。
より具体的に、どこが、どのように優れているのかを、伝えることは、大切でしょう。
たとえば、鰻。鰻の蒲焼。鰻の蒲焼をお好きなお方は、少なくありせん。
ことに毎年の土用の丑の日には、店の前に行列ができるほどです。
江戸時代の話。ある鰻屋のご主人が、平賀源内に、相談。もっと鰻を売る方法ありませんか? それで、平賀源内、一筆書いた。

「本日土用の丑の日」

これを店の前に貼ったところ、大入り満員になったという説があります。
もし、この説を信じるなら、平賀源内は名コピーライターだったことになります。
鰻はさておき、洋服の宣伝は、どんなふうだったのでしょう。さあ。
昭和八年頃の紳士服店のことなら、少し分かります。その頃、「鳥居洋服店」というのがあって。いくつかチラシを作っているからです。

まず最初に、「オーバーの専門店」と書いてあります。
オーバーが、五円四十銭から、十円八十銭まで。
十円八十銭のオーバーは、「両前バンド付」と説明されています。
それとは別に、ベロア製のオーバー。こちらは12円から、24円50銭まで。ベロアは毛足の長い生地のことですね。昭和八年には、ベロアのオーバーが流行ったようです。
今の値段にすれば、12万から、24万の間くらいだったのでしょうか。
もちろん、「トンビ」のことも出ています。トンビは、六円から、二十五円まで。ずいぶんといろんな種類があったものと思われます。
トンビは、インヴァネスを日本風に作った外套であるのは、言うまでもないでしょう。

この「鳥居洋服店」のチラシは、どこにあったのか。
小田喜代治著『東京紳士服の歩み』の、付録なのです。
1985年に、「東京紳士服工業組合」から出版されています。
定価はとくには記されてはいません。
『東京紳士服の歩み』には、紳士服の古書として、『改服 初心傳』が紹介されています。明治六年に、橋爪米齋が著した、洋服の仕立て方の参考書です。
橋爪米齋の『改服 初心傳』には、絵入りの解説になっていますから、分かりやすい。
そこには、「禮服」、「平服」、「達磨」、「下胴服」などと並んで、「背廣」も解説されているのです。
型紙付きの「背廣」としては、もっともはやい例ではないでしょうか。
どなたか明治はじめの背廣を再現して頂けませんでしょうか。

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