ハイデルベルヒは、ドイツの街ですよね。アメリカのロック・ミュージシャンに、ジャクソン・ブラウンがいます。
ジャクソン・ブラウンは、1948年10月9日に、ハイデルベルヒにおいて、誕生。1951年になって家族とともに、ロサンジェルスに移住しています。
ジャクソンのお父さんはピアニストで、家の中にはいつも音楽が流れていたそうですね。
昭和十一年に、ハイデルベルヒを旅したお方に、高濱虚子がいます。高濱虚子はいうまでもなく、優れた俳人。広い意味での、吟行でもあったのでしょう。ドイツに着いてからもたくさんの名句を作っています。
この時の旅の記録は、高濱虚子著『ラインに沿うてハイデルベルヒを訪う』に、納められています。
「このハイデルベルヒと云う町には平野が漸く山に狭められた其渓間の静かな一小都市であった。」
高濱虚子は、そのように書いています。また、高濱虚子は、「シュロッス・ホテル」に泊まって。ここは高台にあって、見晴らしの良い所だとも、書いています。
見えてをる 橋五つあり 春の川
虚子はさっそく一句詠んでいます。
ハイデルベルクが出てくる小説に、『学生時代』があります。
1865年に、シュトルムが発表した物語。
「この前の学期にハイデルベルクで一緒だったフィリップも次の秋には舞い戻ってくるはずだった。」
また、『学生時代』には、こんな一節も出てきます。
「留金つきのエナメル靴を靴屋に、新しい上着を仕立屋にやっとこさ間に合せてもらって町役場のホールに入っていったときには、もうみんな集まっていた。」
これはダンスの練習をはじめた頃の様子として。
たぶん、「バックルド・シューズ」なのでしょう。靴の甲に大きなバックルがあって。これを締めることで、靴が足にフィットする仕掛けのものでありました。
どなたかバックルド・シューズを作って頂けませんでしょうか。