テキサスは、アメリカの州名ですよね。テキサスはテキサスでまた独特の文化を持った都市なんだとか。「カウボーイ・ハットが似合う町」とでも言えば良いのでしょうか。
昭和五年に、テキサスに旅した作家に、石川達三がいます。その折の紀行文に、『テキサスの港』があるのですが。
「七月二十七日朝、テキサス州ヒウストンの港に入った。」
そのように書いています。当時のヒューストンは、綿花の積出港でもあったとも。その頃の日本は、千トンほど綿花を輸入していたそうですね。
昭和五年のアメリカは、禁酒法の時代この禁酒法について、石川達三はこんなふうに予言しています。
「………若しアメリカが正直な国家なら、何れ近い中に解禁するだろう。」
たしかにこの石川達三の予言は大当りだったのですが。
テキサス州で撮影された映画に、『ジャイアンツ』があります。1956年のアメリカ映画。もちろん、ジェイムズ・ディーンの主演。ジェイムズ・ディーンの遺作。
「予定は十週間、場所はテキサスの南西部、マーファという小さな町の近くだった。」
ヴェナブル・ハーンダン著『ジェームズ・ディーン』には、そのように出ています。
その頃のジミーの出演料は、一作、10万ドルだったという。うーん、1950年代の10万ドルですからねえ。
長いテキサスでのロケを終えて、ジミーハビヴァリー・ヒルズの自宅に。すぐに顔を出したのが、「ヴィラ・カプリ」。パッチーの経営するイタリアン・レストラン。
ジミーはパッチーのことを、お父さんのように思っていて。正面玄関から店に入ったことは一度もなくて。いつも裏口から。店が混んでいる時には、従業員の席で食べたりも。
「ヴィラ・カプリ」は人気店でもあって。マーロン・ブランドが満席で入れなかったこともあったらしい
ジミーは、1931年2月8日に、インディアナ州のマリオンに生まれています。
ジミーが六歳頃の
写真が遺っています。やはりジャンパーを着て、ティロリアン・ハットをかぶった姿で。1930年代末には、アメリカでもティロリアン・ハットが流行ったのでしょう。
どなたか1930年代ふうのティロリアン・ハットを作って頂けませんでしょうか。