シャンソンとジャンビエール

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シャンソンは、フランスの歌のことですよね。辞書を開いてみますと、「歌」と出ています。シャンソンの意味は幅が広いのでしょう。
でも、私たちにとってのシャンソンは、やはりシャンソンであります。1950年代の日本ではシャンソンが流行りに流行ったのです。
日本でのシャンソンを支えてきた店に、「銀巴里」があります。「銀巴里」は1951年の開店。長く銀座七丁目にあったシャンソン喫茶。ただしその頃の「銀巴里」は私は知りません。私が「銀巴里」に通うようになったのは、1960年代に入ってからのことですから。
1957年はシャンソンが流行りに流行った時代だと伝えられています。1957年の7月、「シャンソン・フェスティバル」が開かれています。「讀賣ホール」で。7月15日に。巴里祭の一日後のことですね。
この時の「シャンソン・フェスティバル」は空前絶後の規模だったそうですね。俳優の森繁久弥が『銀座の雀』を歌ったのもこの時のことであります。
高島忠夫 高 英男 芦野 宏 越路吹雪 草笛光子 深緑夏代………。
司会は、志摩夕起夫。美術担当が、長沢 節だったと伝えられています。

まあ、そんな頃に「銀巴里」を識ったのですが、動機は不純でした。最初は、出演者のひとり、乾
宣夫の服装が見たかったのです。また、見ておくべき着こなしでありました。ただし乾
宣夫は、弾き語り。ピアノを弾きながらスタンダード・ナンバーを歌っていました。当時の「銀巴里」はシャンソンだけでなく、乾
宣夫のような弾き語りもあったのですね。また、事実、乾 宣夫が目的で「銀巴里」に来ている人も少なくありませんでした。
シャンソンが出てくる小説に、『アルベール・サヴァリュス』があります。1842年に、バルザックが発表した物語。

「リオンヌという言葉はアルフレッド・ド・ミュッセの有名なシャンソン『君見しや、バルセロナに………。そはわが恋人、わがリオンヌ』に由来する。」

バルザックはここで延々と当時の洒落者について語っているのです。
その洒落者を語る途中、こんな文章も出てきます。

「………同郷人の無関心に、そのゲートルによって抗議する『えせリオン』が現れたのである。」

ここでの「ゲートル」は、スパッツではないでしょうか。
フランス語なら、「ジャンビエール」jambières に近いものだろうと、勝手に考えています。
どなたか十九世紀フランスのジャンビエールを再現して頂けませんでしょうか。

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