パリジャンとパピヨン

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パリジャンは、巴里っ子のことですよね。女の子なら、「パリジャンヌ」でしょうか。日本でいえば、「江戸っ子」にも近いのでしょう。
パリで生まれて、パリで育った人のこと。生粋のパリ人のことです。日本人でパリジャンに近かったお方に、画家の荻須高徳がいます。少なくともパリに生き、パリの空気を描いたお方です。
荻須高徳は昭和二年にフランスに渡っています。途中、第二次大戦のために、帰国。昭和二十三年ふたたびパリへ。その時の荻須高徳の随筆に、『パリジャンの生活』があります。

「現在、子供と老人にしか渡らない牛乳も、自由に買えるようになるというので、十年間牛乳に不自由してきたパリジャンをよろこばせている。」

そんなふうに書いています。また、小さい子どものなかには、クロワッサンを知らない者もいるらしいとも。戦争はクロワッサンは贅沢だとして、統制されていたので。
昭和六十年に、荻須高徳は、安岡章太郎、藤村 信との鼎談に出ています。この鼎談の中で、荻須高徳は、モネの話を紹介しているのですが。

「わしは鳥と同じで、夜が明けると起きて仕事する。日が暮れると寝るんだ」。

モネの部屋にはカーテンがなかった。ある人がカーテンのない理由を訊ねると、モネはそんなふうに答えたんだそうですね。

パリジャンで、作家でと言えば、ジャン・コクトオでしょうか。

「僕はパリっ子だから、パリ風の話し方をし、パリ風の発音をする。」

コクトオが1913年に書いた随筆、『特徴的なページ』に、そのように書いています。
1916年に、モディリアーニが描いた、コクトオの肖像画を観ていますと、コクトオは蝶ネクタイを結んでいます。
ボタン位置の高い三つボタン型のスーツに白いシャツ。細長いパピヨンが見えています。
日本で「蝶ネクタイ」と言うように、フランスでは、「パピヨン」。
どなたか1910年代のパピヨンを再現して頂けませんでしょうか。

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