エトルタとエコセ

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エトルタは、北フランスの地名ですよね。ノルマンディー、エトルタ。Etretat
と書いて、「エトルタ」と訓みます。Eの上にはアクサンテギュが添えられるのですが。
エトルタはそれほど大きい町ではありませんが、夏の避暑地。エギュールと呼ばれる針のような岩があることでも識られています。
エトルタが出てくる短篇に、『悲恋』があります。1884年に、フランスの作家、モオパッサンが発表した物語。

「夜あけに、エトルタを出発したわたしたちは、これから、タンカルヴィルの遺跡を見物に行こうとしていたのだが、みな、朝の冷たい空気にかじかみながら、まだうとうと眠っていた。」

これは同行者、七名。女四人、男三人。乗合馬車の中で。
モオパッサンと関係あるフランスの作家に、ルブランがいます。言うまでもなく、モオリス・ルブラン。あのルパンの作者であります。
短篇の名人、ギイ・ド・モオパッサンが世を去ったのは、1893年7月6日のこと。
モオリス・ルブランは、7月8日の葬儀に顔を出しています。巴里の「サン=ピエール・ド・シャイヨ教会」の。
それというのも、ルブランは日頃から「モオパッサンの弟子」を名乗っていたので。
モオパッサン自身がどの程度にルブランを「弟子」だと思っていたのかはさておくとして。
モオリス・ルブランは、1864年12月11日の日曜日、午前四時に、やはりノルマンディーのルーアンに生まれています。
この時に、モオリスを取り上げたのが、アシル・フロべエル。つまり、ギュスターヴ・フロべエルのお兄さんだったのですね。
ギュスターヴ・フロべエルの弟子が、ギイ・ド・モオパッサンだったのは間違いありません。まあ、なにかとご縁があったのでしょう。

もう一度、モオパッサンの『悲恋』に戻りましょう。『悲恋』には、こんな描写も出てきます。

「非常にやせている、非常に背の高い女で、それが、赤い格子縞の、スコットランド風の肩かけにかたくくるまっている格好は」

これはノルマンディーの旅の途中で会った女性について。
「スコットランド風の肩かけ」。これは、タータンでしょうか。
フランスなら、「エコセ」ecossaisでしょうか。ここでもeの上にアクサンテギュが付くのですが。
タータンを好きなのは日本ばかりではなくて。フランスの上流階級でも、エコセが愛される傾向があります。
どなたかエコセの上着を仕立てて頂けませんでしょうか。

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