チップは、心付けのことですよね。昔は、「酒手」の言葉もあったようですが。
でも、英語の「チップ」は、翻訳不能かも知れませんね。ことに「祝儀」とは明らかに違うのですから。
五千円のチップを出す人が少ないように、五百円の祝儀を出す人はまずいないように。
さらに古くは、「花」とも言ったらしい。「花を添える」という意味だったのでしょうか。たとえば藝人がなにかの藝をして。少し客が「花」を握らせる。これを「花」と言ったんだそうですね。
でも、日本にまったくチップがなかったわけでもないようですが。
「もし今度君が来たら、この人にや特別に沢山ティツプを置いて行つてくれ。」
これは「大井」が友人の「俊介」に対しての言葉として。
芥川龍之介が、大正八年に発表した小説『路上』に、そんな一節が出てきます。これはとあるカフエの、「お藤さん」という女給に対して。
お藤さんは十八で、とても美人なので。
「終に酒手と言ひかねて、この道かへて、くらがり峠に出て」
井原西鶴の『世間胸算用』にも、「酒手」が出てきます。
ただ、井原西鶴の時代には、「酒手」には、純粋に「酒の代金」の意味もあったらしい。
「夫婦さまざま内談するに、酒手の借りどころなく」
これもまた、同じように「さかて」と訓んで、「酒の代金」の意味として用いられています。ああ、日本語は難しい。
いや、難しいばかりではなくて。この文章のすぐ前に、「小半」の言葉も出てきます。小半と書いて、「こなから」。二合五勺のこと。なぜなら、一升の半分の半分だから。小半。これは美しい日本語だと思います。
チップが出てくる短篇に、『見知らぬ人』があります。1921年に、英国の作家、マンスフィールドが発表した物語。
「ひそひそ声が聞こえる。チップを渡しているのだろうと彼は考えた。」
これは客船の中での様子として。
また、マンスフィールドの『見知らぬ人』には、こんな一節もで出てきます。
「身なりはすこぶるよろしく、体にぴったり合ったグレイのコートに、グレイの絹のスカーフ、ぶ厚い手袋、そして黒っぽいフェルトの帽子を見事に着こなして、きっちり巻いたこうもり傘をくるくる回してしきりに行ったり来たりしていた。」
これは波止場に立つ紳士の様子。
勝手にも私は、この文章から、チェスタフィールド・コートを想像してしまいました。
チェスタフィールド・コートは、上着にヒントを得た外套なのです。身体にフィットさせるのも当然でしょう。
どなたかあくまでもフィットしたチェスタフィールド・コートを仕立てて頂けませんでしょうか。