心を開け放った靴
サンダルは解放型の履物である。シューズが足を包む形であるのと対照的に、可能な限りアッパーを省略する形式。まず一枚のソール ( 底 ) があり、それをなんらかの方法で足に固定しようというゲームでもある。
サンダルはシューズの歴史よりも古いのではないか。少なくとも古代エジプトの時代に「サンダル」式のフット・ウエアがあったことは間違いない。
サンダルは、古代ギリシア時代の「サンダリオン」sandalion から来ているという。このサンダリオンがローマに伝えられて、「サンダリューム」 sandlium になったと考えられている。古代ギリシアの「サンダリオン」は、もともと「一枚の板」の意味であったとのこと。ここからソールを連想するのは、たやすい。サンダルとはまずはじめにソールありき、なのである。
「古代エジプトのサンダルのソールは、パピルスを編んだもので出来ていることが、しばしばであった。」
アイリス・ブルックス著『履物』 ( 1972年刊 ) にはそのように記されている。パピルスは植物の葉で、紙誕生以前の「紙」としても使われたというが、サンダルの材料ともされたのであろう。今日に伝えられるツタンカーメン像の足許を見ると、サンダル形式になっている。ただしそれがパピルス製であるかどうかは、定かではない。
ツタンカーメンのみならず、王妃、アンケセナーメンもまたサンダル様の履物になっている。王と王妃がサンダル形式であったことは、一般民衆もおそらくそれに近い履物であっただろう。ツタンカーメンが紀元前1320年代の、第十八王朝のファラオであったことは言うまでもない。
古代ギリシアにももちろんサンダルはあった。それは主に革製で、「クレピダ」crepida の名で呼ばれたという。そしてこのクレピダがローマに伝えられて、「カルバティーナ」carbatina になったと考えられている。
古代ギリシアのクレピダは、それ以前の「クレピス」 crepis から出ているのであろう。古代ローマの哲学者は、「バクシア」 baxia を愛用したらしい。バクシアは棕櫚の葉で編んだサンダル。それで最後に棕櫚の葉を紐にして足首に巻いたのである。
ここから一気に数千年の時空を超えることをお許し頂きたい。
「先生は紀元前の半島の人の如くに、やわらかな革で作ったサンダルを穿いて音なしく電車の傍を歩いてゐる。」
夏目漱石著『ケーベル先生』 ( 1911年刊 ) の一節。「先生」とあるのが、ケーベル先生であることは言うまでもない。季節は夏のことと思われる。先生は軽装である。
「玉子色の薄い背広を一枚無造作に引掛けた丈である。」
その下はクレープのシャツ。ケーベル先生とは、ラファエル・フォン・ケーベル。明治期のいわゆる「お雇い外国人」のひとり。当時、東京帝国大学で哲学などを教えていた。
ラファエル・フォン・ケーベルの出身は、ロシア。1923年、横浜で世を去っている。もともとは音楽家を目指した人物で、音楽や美学なども教えた。夏目漱石は帝国大学でケーベル先生の教えを受け、個人的にもお付き合いがあったものと思われる。その漱石から見て、ケーベル先生はサンダルを履いていたのである。
アメリカでのサンダルの流行は1950年代のこと。もちろんそれはビーチ・ウエアのひとつとして。ビーチからタウンにも進出するのが、1960年代末。
1971年『ジェントルマンズ・クォーターリー』誌5月号にも、タウン用サンダルが紹介されている。それは金具で男らしさが強調されているものの、古代ローマの「カルバティーナ」とほとんど変わってはいない。
「白いケープのような長い衣裳に革のサンダル……」。
横尾忠則著『ポルト・リガトの館』 ( 2010年刊 ) の一文。これは日本のアーティストがスペインにダリを訪ねる小説。少なくともこの小説の中での、サルヴァドール・ダリは、サンダルを履いているのである。
大人物にはサンダルがふさわしいということなのだろうか。