鳥打帽とトレンチ・コート

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鳥打帽は、ハンティング・キャップのことですよね。フランスなら「キャスケット」でしょうか。
もともとは狩猟にふさわしい帽子だったものと思われます。ですからなにも鳥に限ったことではありません。馬に乗ったり、鉄砲を担いだりする時の服装にぴったりだったのでしょう。
今の時代でもカントリー・ジャケットによく似合うのは、そのためなのですね。
鳥打帽は感染るという説があります。人が鳥打帽をかぶっているのを観ると、自分でもかぶってみたくなる。つまりは、感染るんであります。

「いつか佛文學の村上菊一郎君も酒に酔つて私の帽子を取つて冠り譲れといつて聞かなかつた。」

昭和二十七年に、作家の上林 暁が書いた随筆『鳥打帽』に、そのように出ています。
この場合の「私の帽子」とは、鳥打帽だったのですが。また、上林
暁は、同じ鳥打帽で、外にも似たような経験をしたとも書いています。結局、最後には、その鳥打帽はさる銀行員に進呈したそうですが。鳥打帽は感染ることがあるんですね。

鳥打帽が出てくる小説に、『モルダウの重き流れに』があります。1969年に、五木寛之が発表した短篇。

「市原はチェコ語でその鳥打帽の運転手に何かたずね、しばらく二人で話していた。」

これは物語の主人公が、プラハを旅して、旧友の「市原」に会うという内容になっています。市原は、仕事の都合上、プラハに住んでいるので。

この時の五木寛之は何を羽織っていたのか。たとえば、トレンチ・コート。私の勝手な想像ですが。
それというのも、1975年11月に五木寛之がソフィアを旅した時には、トレンチ・コートをお召しになっていたから。
五木寛之はなぜこの時に、トレンチ・コート姿だったのか。旅にはトレンチ・コートが便利だから。五木寛之はトレンチ・コートの共ベルトを尾錠には通さずに、前で、手で結んでいるのです。
男はどうしてトレンチ・コートを着るのか。
トレンチ・コートはもともと軍服で、塹壕戦でも下の服を濡らしたり、汚したりしないためのものだったわけです。
粋か野暮かといえば野暮な外套。いや、野暮を承知で羽織る外套。
もうこうなれば、野暮に野暮を重ねて、粋にするしか方法がない。そこでいかにも野暮ったく共ベルトを前で手結びにする。
野暮も徹底すれば粋になる一例なのでしょう。

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