シャンパンとシルヴァー・ボタン

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

シャンパンは、発泡性白ワインのことですよね。シャンパンは、スパークリング・ワインでもあります。
そして、フランスのシャンパーニュ地方産に限って「シャンパーニュ」を名乗ることができるんだそうですね。
シャンパンが今のようなシャンパンになったのは、1728年のことであったという。
ルイ十五世の命令によって。シャンパーニュの発泡酒に限って、壜詰が許されたのですね。それ以外のワインはすべて、従来通りに、樽詰。
これはルイ十五世の宮廷でシャンパンが流行ったことと関係しているのでしょう。
宴の最中、食事の最中、樽から注ぐよりも、壜から注ぐほうがスマートだったからでしょうね。
ルイ十五世はまた、シャンパン・ボトルの規格をも決めた。壜は細首、胴はふくらんでいて、25オンスの容量。つまり、700ミリ・リットル。
コルク栓が飛ばないように縛っておく紐は、三つ編みであること。
壜詰シャンパン。良いところもあれば、良くないところもありました。移動中の、破損。全体のざっと二割は途中で壜が割れたという。
ルイ十五世の宮廷で、いわば「御用達」になったシャンパンが、「モエ・エ・シャンドン」。当時、クロオド・モエは、ポンパドール夫人のシャンパーニュ係でもあったから。

シャンパンがお好きだった作家に、チェホフがいます。もっともチェホフは帝政ロシアの時代ですから、シャンパン好きは当然のことでもあるでしょう。その時代には、上流階級はすべてフランス式でしたからね。

「それはダイヤモンドのごとく輝き、森の小川のごとく澄み、蜜のごとく甘い。」

チェホフは、1885年に発表した短篇『シャンパン』
の中に、そのように書いてあります。事実、チェホフの小説には、多くシャンパンが登場することご存じの通り。

「だれかが彼の手にシャンパン・グラスをもたせた。」

チェホフが1882年に書いた短篇『通信員』にも、そのような一節が出てきます。
チェホフの『通信員』には、こんな会話も出てきます。

「その服屋の奴、勘違いして、黒いボタンの代りに、ぴかぴかのをつけちまったというわけです。」

これは、イワン・ニキーチェの言葉として。ただしニキーチェはこのボタンがお気に入りなのですが。私は勝手に銀ボタンを想像してしまいました。
シルヴァー・ボタン silver button を。
どなたかシルヴァー・ボタンのついたブレイザーを仕立てて頂けませんでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone