四馬路とスェーター

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四馬路は、上海の地名ですよね。いや、地名でしたと言うべきでしょうか。
上海の虹口地区にあります。今現在では「四平路」となっているそうですが。
四馬路と書いて「スマロ」と訓んだものです。虹口は、「ホンキュウ」。

🎶 夢の四馬路か 虹口の町か

古い歌『夜霧のブルース』に、そんな歌詞がありましたね。ディック・ミネの歌。鶴田浩二も石原裕次郎もたしか歌っていたような記憶があります。
戦前の上海は、国際都市だったという。アメリカ、イギリス、フランス、日本もまた「租界」を作っていて。舶来品などもほとんど揃っていたんだそうです。それこそウビガンの香水からバーバリーのトレンチ・コートまでが。

「プラタナスの並木を透してみる闇は、物音をたてず、人家らしい灯も見えない。」

作家の林 京子は『上海』の中に、そのように書いています。林 京子は昭和六年から、上海に住んだお方。それが三十数年ぶりに上海を再訪する物語になっています。
上海にどうしてプラタナスの並木なのか。これはその昔、フランス人が巴里を懐かしんでお国から移植した名残りなんだそうですね。

大正十五年に上海を旅した作家に、谷崎潤一郎がいます。その時の紀行文は『上海交友記』に纏められているのですが。

「四馬路の聚晶館ヘ行けば、絹ごし豆腐の吸ひ物があり、日本でたかなと呼んでゐる菜っ葉ばかりの煮つけもある。」

谷崎潤一郎は『上海交友記』の中に、そのように書いています。
『上海交友記』の続篇ともいうべきものが、『上海見聞録』。この中には、シャトオ・ラフィットの1911年物が登場します。谷崎潤一郎はよほど上海で歓待されたようですね。
もう一度『上海交友記』に戻りましょう。

「うすい、間服のやうな色合ひの背広服を着て!上衣の下に毛糸のスエーター着てゐる。」

上海で紹介された紳士の着こなしを、谷崎潤一郎はそのように書いています。

ヴェスト代わりにスェーターを重ねる。いいものですね。スェーターの袖口は折返して、上着の袖から直接カフが覗くようにして。スェーターの裾もトラウザーズの内側に入れて。
たぶん1930年代風味が味わえるに違いありません。
どなたか上着の下に重ねたくなるスェーターを作って頂けませんでしょうか。

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