スナップは、「ぱちん」とでも言えば良いでしょうか。たとえば、「スナップ・ファスナー」だとか。ぱちんと合わせて留めるものなので、「スナップ・ファスナー。英語としては1895年頃から用いられている言葉なんだそうですが。
同じものを、「ホック」とも。これはオランダ語の「ホック」hoek から来ているんだとか。英語で言うところの「フック」hookなのです。
男のズボンの折返しにもホック、スナップ・ファスナーが付くことがあります。カフを一時的に留めておくために。裾口にブラシをかけるには、ホックを外してから。
ホックは金属で、金属の光を嫌った洋服職人のなかには、一度スナップ・ファスナーを裏地で包んでから、裾口に取り付けたものです。
スナップは、「ぱちん」ですから写真の世界でも使われます。「スナップ・ショット」というではありませんか。
このスナップ・ショットの達人だったお方に、木村伊兵衛がいます。
木村伊兵衛は、町を歩いていても、どこからともなく写真機が出てきて、パチリ。その一連の動作に誰も気づかなかったという。
昭和五年から、木村伊兵衛は「ライカ」を偏愛。小型のライカだからこその藝だったのでしょうが。昭和四十九年に世を去るまで、「ライカ」を手放すことがなかった写真家。
木村伊兵衛は常に、最新型ライカを愛用。いつも持ち歩いて、傷をつけることがなかったそうですね。
昭和二十九年に、はじめて洋行。四ヵ月間。イタリア、スイス、ドイツ、北欧、イギリス、フランスなどを。この時に持って行ったのが、「ライカM3」。
昭和三十一年には、女優の高峰秀子を撮しています。
その時の様子はどんなふうだったのか。
「と、木村さんの右手がソロリと上衣のポケットに入ったと思ったら、その手に吊りあげられるようにしてライカが現れた。私はあわてて………」
高峰秀子著『にんげん蚤の市』に、そのように出ています。
ここでの「木村さん」が、木村伊兵衛であるのは、言うまでもないでしょう。
高峰秀子はこの時、なぜ「あわてた」のか。何の準備もしていなかったから。
女優の、自宅での撮影。たぶん大がかりな仕事になるだろうから、その時に化粧も衣裳も用意すれば良い。高峰秀子はそんなふうに考えていたので。
ところが、普段の顔、普段の装いで、木村伊兵衛がシャッターを捺しはじめたので。
背景もなし、照明もなし。ただ高峰秀子と木村伊兵衛がいるだけ。
木村伊兵衛の『高峰秀子』は、今も写真集で観ることができます。そこには「生」の高峰秀子があらわれているのです。
撮影は三十分ほどで終って。木村伊兵衛は前にいれてくれていたさめたお茶を飲んで。
「お邪魔しましたね、じゃ、ごめんください」
もう木村伊兵衛の姿は消えていたと、高峰秀子は書いています。
この時、木村伊兵衛はどんな靴を履いていたのか。イタリア製のスリップ・オン。
木村伊兵衛は、イタリア製の軽い靴がお好きだったらしい。足の寸法は、25センチだったと伝えられています。
イタリアの「ヴェルバーノ」のスリップ・オン。それはアッパーとソールが同じ革で、ひと繋ぎになった不思議なスリップ・オンなのです。
アッパーとソールとが手縫いで一体となっていて、見るからに履き易そう。
どなたか「ヴェルバーノ」のスリップ・オンを、再現して頂けませんでしょうか。