スカートとスパッツ

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スカートは、ジュープのことですよね。英語で、スカート。フランス語で、ジュープ。たいていは女性が穿くことになっています。
でも、男の服にスカートがないわけでもありません。たとえば、フロック・コートの裳裾のことを「スカート」Skirt
と言います。つまり腰縫目から下の裾部分を、「スカート」と呼ぶわけですね。
十九世紀までの女性のスカートは、フル・レングスが常識でありました。スカートは足首までの長さがあってこその、スカートだったのです。
このスカートを一変させたのが、1920年代のテニス・ウエアだったのです。
1920年代以前のテニス・ウエアは、もちろん、ロング・スカートだったのです。白い長袖のブラウスに、白いロング・スカートでプレイしたのであります。
これを変えたのが、フランス人のテニス選手、スザンヌ・ランランだったのです。1919年、スザンヌが二十歳の時に。
場所はウインブルドンのテニス・コートで。スザンヌ・ランランは、白い膝丈のプリーツ・スカートで登場したのです。テニス試合に勝つために。実際にランランは試合に勝ったのですが。連戦連勝。
スザンヌ・ランランはたちまち新聞の話題になりました。「下品だ!」というのが、大半の声でありました。
でも、ショート・スカートがテニスの勝負に向いていたのも事実だったのです。
スザンヌ・ランランはショート・スカートに合わせて、特別のテニス・シューズも履いていました。それは後に「ランラン・シューズ」として識られるようになるのですが。
白のドスキン地で仕上げたラバー・ソールの靴だったのです。
それはともかく、今日のショート・スカートが1919年のウインブルドンにはじまっているのは、間違いありません。

スカートが出てくるミステリに、『謎の家』があります。1927年に、モオリス・ルブランが発表した物語。

「スカートの上に、銀と綾とりをしたチュニックが宝石の帯でぴったりと胴体にしめつけられ、胸元は、全部ダイヤだけでできているかと思われるコルスレで包まれていた。」

これは「レジーヌ・オブリー」の衣裳として。
また、『謎の家』には、こんな描写も出てきます。

「わたし、三度目の晩、モンマルトルの男がゲートルか、または、明るい色の胴がついている靴をはいているのを見てとるだけの余裕があったのです。」

これは「アルレット」の言葉として。
おそらく、「スパッツ」spats のことかと思われます。
十八世紀には、「スパッターダッシーズ」と呼ばれて、実用的な泥よけだったものです。
それが十九世紀に入って、だんだんと装飾化されて、「スパッツ」となったものであります。
どなたかスパッツが似合うブローグを作って頂けませんでしょうか。

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