メロディーは、旋律のことですよね。メロディーがあってこその音楽でしょう。英語の「メロディー」は、ラテン語の「メロディア」から出ているんだとか。
そう言えば「メロディアス」の言い方もありますね。メロディアスが出てくる随筆に、『先生への通信』があります。寺田寅彦が、明治四十三年に発表した随筆。ここでの「先生」は、夏目漱石のこと。漱石は寅彦の先生でしたから。もともとは寅彦が漱石に宛てたヨオロッパ便りだったのですが。
「道端の牧場には首へ鈴をつけた牛が放し飼いにしてあって、その鈴の音が非常にメロディアスに聞こえます。」
これはたぶんカウベルの音色のことなのでしょう。この文章のすぐ前に、こんな話が出てきます。
「私は英人でウェストンと云うものだが、日本には八年も居てあらゆる高山へ登り、富士へは六回登ったことがあると話しました。」
明治四十ニ年に寺田寅彦はスイスで、ウェストンに会っているんですね。偶然とは恐ろしいものであります。
ここでの「ウェストン」は言うまでもなく有名な登山家の、ウォルター・ウェストンのことなんですね。
ウォルター・ウェストンは、もともと宣教師。1861年に、イギリスのダービーに生まれています。お父さんのジョン・ウェストンは織物業者であったという。
ウォルター・ウェストンは、ケンブリッジ大学、クレア・カレッジを卒業後。神学校に進んでいます。
日本に来たのは、明治二十一年。ウェストン、二十七歳の時であります。最初、熊本で宣教師となり、その後、神戸に移っているのですが。
ウェストンがはじめて富士山に登ったのは、明治二十三年のこと。その後も、精力的に日本の名山に登っています。
このウェストンが日本の登山のなかで、親しくなった日本人が、上條嘉門次。上條嘉門次はもともと猟師。猟師のかたわら登山の案内人をしていたらしい。
ウェストンと上條嘉門次とがはじめて出会ったのは、明治二十六年に、穂高岳に登った時。
穂高岳への道に詳しいのは、上條嘉門次以外にはいないとして、紹介されたものです。
「年長の案内人は名を嘉門次(かもんじ)といい、奇妙な顔つきの小柄だが頑強な男で、彼が技師に山頂への道筋を指示したとのことだから、私も彼に案内が頼めたのは幸運だったと思う。」
ウェストンは『日本アルプスでの悪戦苦闘』と題する随筆の中で、そのように書いています。
えーと、メロディーの話でしたね。メロディが出てくる小説に、『夜の終り』があります。フランスの作家、クロード・モーリャックが、1935年に書いた物語。
「ラ、ラ、リ、ラ、ラ」と一人で勝手にメロディーを口ずさんでいる。
これは「マリ」という女性について。また、『夜の終り』には、こんな描写も出てきます。
「メルトンの裏地のついた古い部屋着をまとい女中のところへ出て行くと、」。
部屋着の裏が、メルトン地になっているのでしょう。では、表地は何なのか。さあ。いずれにしても暖かい部屋着であるのは、言うまでもないでしょう。
メルトンmelton は、縮絨の効いた厚手のウール生地。英国の有名な狩猟地、メルトン・モーブレイに因んだものです。
そもそもはハンティング・コオトの生地だったものと思われます。
どなたか1930年代のメルトンを再現して頂けませんでしょうか。