馬鈴薯は、じゃがいものことですよね。じゃがいもはまた、ポテトのことであります。
それぞれの時代にそれぞれの呼び方があったのでしょう。今はたいていポテトと言って、馬鈴薯とはあまり言わないようですが。たとえば、「ポテトサラダ」だとか。「ポテトチップス」だとか。「フライドポテト」だとか。でも、じゃがいもがいつからポテトになったのか。さあ。
「晩飯 粥三碗 泥鰌鍋 キヤベツ ポテトー 奈良漬 梅干 梨一ツ」
明治三十四年九月十九日の『仰臥漫録』にそのように出ています。もちろん正岡子規の『日記』であるのは言うまでもありません。正岡子規は『日記』の中で、「ポテトー」と書いています。これは日記に現れた最初の「ポテト」ではないでしょうか。
正岡子規は当時としてはハイカラな言葉も使っていたのでしょうか。そういえば、ワイン。正岡子規は食事の時、ワインを召し上がっていたらしい。
「昼 鰹ノサシミ 粥三碗 ミソ汁 佃煮 梨ニツ 葡萄酒一杯(コレハ食事の時ノ例也 前日日記ニヌカス」
同じく明治三十四年九月四日の『日記』に、そのように書いてありますから。
鰹の刺身。ということは白ワインだったのでしょうか。
でも、明治三十四年のことですからね。正岡子規が毎日のように一杯飲んだワイン。やはり赤ワインだったのでしょうか。「食時ノ例也」とあるところから想像して、ひとつの習慣になっていたものと思われます。
えーと、ポテトの話でしたね。私はアツアツのポテトに、バターをたっぷり添えて食べるの、大好き。美味しいポテトと美味しいバターとさえあればおやつ代わりにも、食事代わりにもなるくらいに。
1885年に馬鈴薯を描いた画家に、ゴッホがいます。『馬鈴薯を食べる人々』がそれです。今はアムステルダムの「ゴッホ美術館」所蔵となっている作品なのですが。
『馬鈴薯を食べる人々』の話が出てくる研究書に、『ゴッホの手紙』があります。小林秀雄の名著。小林秀雄が長年、ゴッホの手紙を精読して発表したゴッホの研究書なのです。
「とうとう《馬鈴薯を食う人々》を描き上げ、パリの弟に送った時、こう言っている。「若しお望みなら、もっと小さく描いてもいい、デッサンにしてもいい。何しろみんなそらで憶えているからね、殆ど文字通り、夢のなかで描けるのだ。」
うーん。ゴッホの観察力が並々でなかったことを窺わせる文章と言って良いでしょう。
また、小林秀雄の『ゴッホの手紙』には、耳を切った時の様子も出てきます。
「外出出来る状態になると、彼は、頭に包帯をし、バスク・ベレを目深に被り、真直ぐにある家に行った。」
ほう、なるほど。あの時のゴッホ、ベレをかぶっていたのですね。バスク・ベレを。
バスク・ベレはブレトン・ベレよりも小ぶりなベレのこと。たぶん黒のバスク・ベレだったでしょう。
どなたかゴッホのベレを再現して頂けませんでしょうか。