ヴォルフガングとヴェステ

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ヴォルフガングは、人の名前にもありますよね。Wolfgang と書いて、「ヴォルフガング」と訓みます。
たとえば、モオツアルト。モオツアルトは、ヴォルフガング・アマデウス・モオツアルトとして1756年1月27日に、ザルツブルクに生まれています。
ヴォルフガングではもうひとり、ゲエテがいるでしょうね。ヨハン・ヴォルフガング・ゲエテ。1749年8月28日に、フランクフルトのアム・マインに生まれています。ゲエテはモオツアルトよりも、七歳年長だったわけです。
ゲエテが1786年にイタリアに旅しているのは、広く識られているところでしょう。なにしろゲエテには、『イタリア紀行』の著書があるくらいですから。
ゲエテはイタリアでは、イタリアらしい服装を好んだらしい。それというのも、ロオマ滞在中、少なくとも五回はテイラーを訪ねているひどですからね。
1787年に、ゲエテの友人で絵師のティッシュバインは、『カンパーニアのゲエテ』を描いています。この絵の中でのゲエテは広いブリムの帽子をかぶり、丈長のケープを羽織っているのです。この丈長のケープはやはりロオマで作ったものなのでしょう。素材はあるいはヴァイキューナであったのかも知れませんが。
ゲエテは昼でも夜でも、部屋の中でも外でも、必要に応じてこのケープを愛用したという。
ゲエテと衣裳から想い浮かべるものに、黄色いチョッキがあります。あの『ウェルテルの悩み』の中で、ウェルテルが新調した黄色いチョッキに外なりません。
この黄色いチョッキは当時の燕尾服に合わせるためのものだったのですが。後に『ウェルテルの悩み』が読まれるようになって、この黄色いチョッキがヨオロッパ中の若者の間で流行となったと伝えられています。
ところがゲエテ自身、この黄色いチョッキを愛用したらしい。

「ゲエテは意図してまだ青い燕尾服と黄色いチョッキという「ウェルテル衣裳」を身につけていた。ワイマルの若者たちは競ってこの服装を身につけた。」

小塩 節著『ゲエテとワイマル』に、そのように出ています。著者の小塩
節はドイツ文学者。ワイマルでのゲエテの足跡を訪ねて旅をしたお方なのですが。1973年のことです。
小塩 節はワイマルでは、トオマス・マンも泊まったという「エレファント・ホテル」に宿を取っています。
そのトオマス・マンは、1939年に『ワイマルのロッテ』と題する長篇を仕上げています。ロッテが、『若きウェルテルの悩み』に登場するロッテであるのは言うまでもないでしょう。
そのモデルとなったシャルロッテが母と一緒にワイマルを訪れるという内容になっているのですが。シャルロッテがお母さんと二人で、ワイマルに。どうもそれに近い話もあったらしいのですが。でも、『ワイマルのロッテ』は、トオマス・マンの創作だと考えるべきでしょう。
ところでこの黄色いチョッキ。ゴールデン・イエローではなかったでしょうか。
チョッキはドイツ語なら、「ヴェステ」weste でしょうか。
どなたか現代にも通用するゴールデン・イエローのヴェステを仕立てて頂けませんでしょうか。

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