トゥイードは、スコッチのことですよね。昔の日本では「スコッチ」と言ったものです。スコットランド・トゥイードを短くして。
tweed と書いて、「トゥイード」と訓みます。スコットランドの川の名前でもありますが。
今、むしろ「スコッチ」といえば、スコッチ・ウイスキイのことでしょうか。でも、明治大正の時代には、「スコッチ」といえば、トゥイードのことだったのですね。
「紺羅紗の獨逸背廣にすこつちの古びたるヅボンを穿ち、黑羅紗の低き帽子を戴きてふらんすがはの半靴を履き」
明治二十一年に、須藤南翠が発表した『緑蓑談』に、そのような文章が出てきます。余談ではありますが、「緑蓑」と書いて、「りょくさ」と訓むんだそうですが。緑色の蓑の意味なのでしょうか。
それはともかく、明治十年代には、「スコッチ」の言葉が用いられていたようですね。
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トゥイードが出てくる小説に、『自由への道』があります。フランスのサルトルが、1945年に発表した長篇。物語の背景は、第二次大戦中に置かれているのですが。また、『自由への道』はたしかに創作ではあるのですが、半自叙伝の内容にもなっています。つまり、主人公はサルトル自身である、そう言って間違いではないでしょう。
– 第二次大戦中、サルトルは何を考えていたのか。もし、それを知りたいなら、『自由への道』を読むに限ります。
「彼は茶色のツイードの上衣をえらんだ。五月末以降は、暑くて耐えられない服だった。」
ここに出てくる「彼」は、主人公のマチウ・ドラクエ。ある学校の哲学の先生という設定になっています。ここから当時のサルトルを想像するのは、難しくないでしょう。つまり、1940年代のサルトルは、トゥイードの上着を羽織ることもあったのでしょうね。また、『自由への道』には、こんな描写も出てきます。
「彼はバラいろに近いツイードの揃いの服、麻のワイシャツ、草いろのネクタイを身につけ、その行きとどいた大胆さは、少々ボリスの気に障る位だった。」
これは「セレノ」という男の着こなしについて。「ツイードの揃いの服」というのですから、スリーピース・スーツだったのでしょう。また、その着こなしが見事だったとも。さらに『自由への道』を読んでおりますと。
「彼は太い横縞のセーターを着ていたことを思い満足だった。それは美しいセーターだった。」
ここでの「彼」は、ボリスという青年。ボリスはマチウの教え子という設定になっているのですが。「セーター
」。フランスなら、「トリコ」tricot でしょうか。
どなたか白地にブルウの横縞のトリコを編んで頂けませんでしょうか。