プロヴァンスとブルゾン・ド・キュイール

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プロヴァンスは、南フランスの地方名ですよね。プロヴァンスはなにかと美味しいものがたくさんあることでも識られています。
プロヴァンスに生まれた画家に、セザンヌがいるのはご存じの通り。もちろん、ポール・セザンヌ。ポール・セザンヌは1839年1月19日、エクス=アン=プロヴァンスに於いて、誕生。お父さんは、ルイ。お母さんは、アンヌだったと伝えられています。
ルイ・セザンヌの自宅は、プロヴァンスのオペラ通り二十八番地にあって。お父さんのルイはクール・ミラボー五十五番地で帽子屋を開いていたそうですね。
お父さんの帽子屋は繁昌して、後に地方銀行の一つを買っています。お父さんが銀行の頭取ですから、若き日のポール・セザンヌは一時期銀行に勤めたこともあるんだとか。
1852年にポールは、「ブルボン中学校」に入学。ここで一年下に巴里から転校して来たのが、ゾラ。後に作家になるエミール・ゾラ。
エミール・ゾラは少年時代小柄で、転校生で、よく同級生にからかわれたりしたという。この時、ゾラをかばったのが、セザンヌ。それで、エミールとポールとは仲良しになったそうですね。
ある日、ゾラが上級生に打たれたことがあって。この時ゾラを助けたのも、ポール。次の日、エミールは、籠いっぱいのりんごをポールに届けて感謝したそうです。

セザンヌが1880年頃に描いた絵に、『レダと白鳥』があります。「レダと白鳥」は古代ギリシア神話。白鳥がレダを誘惑する物語なのですが。これは古くからの絵のテエマでもあって。レオナルド・ダ・ヴィンチも、ミケランジェロも同じ題名での絵を描いています。
セザンヌは1870年代後半から『レダと白鳥』の構想を持っていたらしく、多くのデッサンが遺されているのです。ソファーにレダが横たわり、その横に白鳥がいるという構図なのですが。
ところが、セザンヌはほぼ同じ時期に「ナナ」という銘柄のシャンパンの絵も描いているのですが。その構図は『レダと白鳥』によく似ています。つまりセザンヌはシャンパンの「ナナ」から、『レダと白鳥』のデッサンを想いついたのではないでしょうか。

「君が贈ってくれた今度の書物について、お礼を述べるのがいくらか遅くなってしまった。だが、新進の魅力惹きつけられて、昨日、ナナを読み終えた。」

セザンヌはゾラへの手紙に、そのように書いています。
セザンヌがゾラの『ナナ』を読んでいたことは間違いないでしょう。

プロヴァンスを愛した画家に司 修がいます。司 修はプロヴァンスの紀行文の中で。

「窓の隣のくぼみにセザンヌが着ていたコートがかけてあり、帽子とステッキがあった。ぼくは絵を見るより、コートと帽子に感動した。」

司 修は『プロヴァンス水彩紀行』に、そのように書いています。感動した司 修は、『セザンヌのコート』と題する絵を描いてもいるのですが。

プロヴァンスが出てくる小説に、『夜明けの約束』があります。フランスの作家、ロマン・ガリが1960年に発表した物語。

「そういうわけで彼女はリナルディにニースからサロン・ド・プロヴァンスまで ー 三百キロメートルの工程だ ー 言うまでもなく一銭も払わず運転させたのだ。」

これは物語の主人公のお母さんの話として。また、『夜明けの約束』には、こんな描写も出てきます。

「私は制帽をまぶかにかぶり、革ジャンパーを着たまま、あと一秒ほどそこにとどまっていた。」

「革ジャンパー」。フランスなら、「ブルゾン・ド・キュイール」でしょうか。
どなたか1960年代のフランスふうのブルゾン・ド・キュイールを作って頂けませんでしょうか。

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