スコットランドとスタッズ

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スコットランドは、トゥイードを生んだ国ですよね。スコットランドは、北の国。また、高い山があることでも識られています。スコットランドは風の強い日もあって。
そうなるとどうしてもホームスパンやトゥイードのような厚い生地が必要だったのでしょう。まさに、「必要は発明の母」だったものと思われます。
明治三十六年にスコットランドを旅した詩人に、野口米次郎がいます。野口米次郎がイサム・ノグチのお父さんであるのは、ご存じの通り。
野口米次郎は当時、巴里からロンドンに向い、さらにエディンバラに足を進めています。

「兵隊と云へばキルトと云ふ短い袴の様なものを着けて頭に房々した毛の帽子を冠つた人数十一二名が風笛を吹き乍城の方へハイ街を上がつて行く所を見たです。」

野口米次郎の紀行文『エディンバラ』に、そのように出ています。これはわりあい早い「キルト」の紹介でもあったでしょう。また、ここに、「風笛」とあるのは、バグパイプのことかと思われます。

1934年にスコットランドを旅した英国人に、エドウイン・ミュアがいます。エドウイン・ミュアはなぜこの時、スコットランドに赴いたのか。
エディンバラで、「国際ペンクラブ」の大会があって、その司会を仰せつかったから。エドウイン・ミュアはイギリスから自分の自動車でエディンバラへ。これはこの機会に、スコットランド全土を回ってみたいとの想いがあったからでしょう。
事実、エドウイン・ミュアは好んで小さな町を訪れたりもしています。その時の紀行文が、『スコットランド紀行』なのですね。

「しかしパブリック・スクールのネクタイを締めてキルトをはいた、体格が良く、ぶっきらぼう老紳士だけは私を許そうとしなかった。」

ミュアは『スコットランド紀行』の中に、このように書いています。
ある田舎のホテルでのこと。自動車で宿に着いて、そのまま恰好でネクタイも締めずに、レストランをのぞいた。それがどうも顰蹙をかったらしい。ミュアは急いで着換えて、ネクタイを結んで、食堂に降りて行ったのですが。

「ときおり驟雨があった アラレが降ったかと思うとだしぬけに青空がひろがった 」

田村隆一の『スコットランドの水車小屋』という詩の一節に、そのような言葉が出てきます。
スコットランドは天候が変りやすい。「一日のうちに四季がある」。そんなふうに言われるほど

スコットランドが出てくる小説に、『息子と恋人』があります英国の作家、D・H・ロレンスが、1913年に発表した物語。

「この小さな一隊はロンドンへ向かう線と、反対側のスコットランドへ向かう線をみやった。」

これはロンドンとエディンバラとを結ぶ「フライイング・スコッツ」の列車を見ようとする場面。
また、『息子と恋人』には、こんな描写も出てきます。

「ウイリアムに買ってやった飾りボタンは、ポールのシャツの前についていた。」

これは「スタッズ」studs のことかと思われます。もしも一個なら「スタッド」。2個以上なら「スタッズ」になるわけですね。
どなたか1910年代のスタッズを再現して頂けませんでしょうか。

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