ドレは、人の名前にもありますよね。ことにフランス人に多い印象があります。
たとえば、ジュリアン・ドレだとか。ジュリアン・ドレは、フランスのシンガーソングライター。
このジュリアン・ドレは、ギュスターヴ・ドレの、ひひひひ孫に当たるんだとか。
ギュスターヴ・ドレは、1832年1月6日に、アルザスのストラスブールに生まれています。もちろん十九世紀に活躍した絵師。
ギュスターヴ・ドレははやくから画才を発揮したお方。とにかく十二歳でリトグラフ集を出したというのですから、開いた口がふさがりません。このリトグラフ集が注目されて、後に巴里に出ることになったのです。巴里に出たのは、1840年代のことでしょう。
ドレは十五歳以降、職業絵師として認められていたんだそうですから、早熟以外の何者でもありません。
ドレはフランス人としては珍しく、英国好きでもあったようですね。ロード・バイロンの詩集に挿絵を描いたりもしていますから。
1869年に、ドレはロンドンに画廊を開いています。ドレが、二十七歳の時に。このギャラリーは、ドレの描いた絵を売るための場所でもあったのですが。
ドレはこの画廊のこともあって、1869年からの四年間、ロンドンに住んでもいるのですね。では、ロンドンでのドレは何をしていたのか。
ロンドンの取材を。それもなぜかドレはロンドンの中流階級以下の暮らしに興味があったみたいなのです。そのために、多くの当時のロンドンの下町が生々しく描かれています。
ロンドンの、1870年代の下町の様子を識る上で、ドレの絵は貴重な資料となっているのです。
たとえば、『警官の目』と題された絵があります。二人の警官がカンテラを持って、夜の下町を見廻りしている場面。この二人の警官は、制服としてのインヴァネスを羽織っているのです。
1870年代のロンドンの警官はインヴァネスがユニフォームだったことが分かるでしょう。
あるいはまた、『早朝の屋台のコーヒー屋』と題された絵があります。ここではロンドンの庶民が、朝はやくコーヒーを立ち飲みしている様子が描かれているのです。その中のひとりは、トップ・ハットをかぶっています。
十九世紀中頃までのトップ・ハットは紳士必携の帽子でありました。それがだんだんと中流階級にも伝えられたものと思われます。
1870年代のロンドンで、ドレほど中流階級のトップ・ハットをおおく描いた絵師はいません。それがたまたまフランス人だったのも面白いことではありますが。
どなたか1870年代のトップ・ハットを再現して頂けませんでしょうか。