グラスは、コップのことですよね。ワインを一杯飲むにも、グラスが必要です。シャンパンを飲むにも、グラスを使います。
🎶 グラスに映る我が影に
石原裕次郎の『我が人生にくいはない』にも、そんな歌詞が出てきます。なかにし礼の作詞ですね。
グラスの大きさはその酒の度数と関係があるのでしょうか。たとえば、ビア・マグ。陶器の大きな器。あれはもちろん、ビイル専用。
そうかと思うと、ウイスキイ・グラス。ショット・グラス。ウイスキイをストレイトで飲むにふさわしいグラスでしょう。
グラスが出てくる小説に、『桑の實』があります。大正二年に、鈴木三重吉が発表した物語。
「すまないが戸棚の葡萄酒でも持つて来て下さいな。小さい洋盞を二つと」。
これは夜になって突然、友達がやって来たので。ワインを薦める場面。
鈴木三重吉は、「洋盞」と書いて「グラス」のルビを添えているのですが。明治の頃には、「洋盞」と書いてグラスと訓むことが少なくなかったのでしょうね。
西洋の盞。たしかにその通りでもあります。
「夕食後に、毎夜寝る前の習慣で、コニャックのグラスを置き、ぽつねんとひとりで味わつてゐた。この琥珀色した酒が、いつも恭吾の孤独を慰めてくれる。」
大佛次郎が、昭和二十三年に発表した小説『帰郷』に、そんな一節が出てきます。
コニャックを寝酒にする人も少なくはないでしょう。ただ、その薫りだけでも豊かな気分になってきます。そのうちに眠けにおそわれる仕組になっています。
「そのうちに山田の父もウイスキイを註文して、これも上機嫌にグラスを重ねた。」
倉橋由美子が、1970年に発表した『夢の浮橋』にもグラスが出てきます。
グラスの出てくる小説は良いものです。ただし、読んでる方もついつられてしまうのですが。酒の入ったグラスは、たしかにうつるところがあります。
グラスが出てくる小説に、『衛生検査』があります。1884年に、チエホフが発表した短篇。
「商店代表がグラスを干し、眉をしかめながら言う。「ピクルスでも出してくれないかな」」
これはお役人が、各食料品店を、「衛生検査」にまわっている場面。ところが検査のはずがウオトカの検査になって、飲むこと飲むこと。そんな様子が描かれています。
チエホフが1885年に発表した短篇に、『財布』があるのですが。男三人が、大金の入った財布を拾う話。この中に。
「シルクハットとオペラハットを買うんだ。伊達者にや灰色のシルクハットがいるな。」
これは「ポポフ」の科白。もうすっかり大金持になったつもりで。
ここでの「灰色のシルクハット」は、「グレイ・トッパー」grey topper のことでしょう。盛装用の帽子。
たとえば、アスコット競馬の見物には、最適の帽子でしょう。よく、グレイ・モオニングに合わせたりするものです。
どなたかグレイ・トッパーが似合うグレイ・モオニングを仕立てて頂けませんでしょうか。