トランクとトゥイード

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トランクは、旅鞄のことですよね。大きな、しっかりとした鞄。
trunk と書いて「トランク」と訓みます。これが複数形になりますと、「トランクス」。男性用下着の意味にもなるのですが。
英語の辞書を開いてみますと。「一人では持てない大きさの鞄」。そんな説明もされています。昔の豪華客船用の旅鞄だったのでしょうか。
その昔、トランクを持っていたお方に、宮沢賢治がいます。それは宮沢清六の『兄のトランク』に、詳しく出ています。宮沢清六は、宮沢賢治の弟。1904年に、岩手に生まれています。宮沢賢治は1896年の生まれですから、八つほど年下だったのでしょう。

「その頃中学生の私が、花巻駅に迎いに出たとき、まず兄の元気な顔に安心し、それからそのトランクの大きいことに驚いた。」

宮沢清六は、『兄のトランク』の中にそのように書いています。時は、大正十年の七月のこと。
宮沢賢治のトランクはどんなものだったのか。それは茶色のズック地のトランクだったとも書いてあります。東京の神田の鞄専門店で賢治が買ったものだそうですが。
では、賢治のトランクには何が入っていたのか。原稿。賢治が東京で書いて、まだ出版はされていない原稿が。

「今度はこんなものを書いて来たんじゃ」と言いながら、そのトランクを開けたのだ。

宮沢清六は、そんなふうにも書いています。宮沢賢治はその時は、七ヵ月を東京で暮らしています。多い時には、一月に三千枚の原稿を書いたとも。
その時には、原稿用紙から文字が飛び出して、その辺を飛び回ったとも。
それはともかく、賢治はトランクから原稿を取り出して、皆の前で読んでくれたんだそうです。
大正十二年の正月の話として。その頃には、宮沢清六もまた、東京に出て来ていて。その本郷の清六の下宿に賢治がトランクとともにあらわれて。

「此の原稿を何かの雑誌社へもって行き、掲載さして見ろじゃ」

賢治は清六にそう言ったそうです。
清六は、トランクを持って、「東京堂」に。当時『婦人画報』を出していたので。
結局、そのトランクは清六が預かることになるのですが。だいぶ経ってから、清六は賢治のトランクにポケットのあることを発見。ポケットを探ってみると、昔書いた賢治の手紙が出てきたという。
宮沢賢治ファンであろうとなかろうと、『兄のトランク』は興味深い随筆になっています。

トランクが出てくるミステリに、『ケンブリッジ大学の殺人』があります。1945年に、英国の作家、グリン・ダニエルが発表した物語。

「今晩、ファーナビイのトランクはまだ下ろしていないかった。朝一番にやらなければならない仕事だぞ、いいか。」

これは「ベインズ」の言葉として。
また、『ケンブリッジ大学の殺人』には、こんな一節も出てきます。

「今まで君が着ているような柄と生地のツイードにはお目にかかったことがない。実に魅力的だ。」

これは、リチャード教授が、生徒のパロットに対して。
それはウエールズの、西カーディガンシャーで織られた特殊なトゥイードだったので。
スコットランドのトゥイードは、日本の紬にも似ています。各地にそれぞれのトゥイードがあるのです。
どなたかカーディガンシャーのトゥイードで、上着を仕立てて頂けませんでしょうか。

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