ポットは、茶壜のことですよね。ふつう紅茶などを淹れる時の道具。「ティーポット」というではありませんか。
紅茶を美味しく飲むには、ポットを上手に使うに限ります。たとえば、三人分の紅茶を淹れるとして。茶匙に人数分の葉茶を。あなたに一杯、あなたに一杯。それで最後に、「ポットに一杯」。これが美味しい紅茶の秘訣なんだそうですね。
ティーポットにうるさかったお方に、英国の作家、ジョージ・オーウェルがいます。
「ティーポットは、陶磁器、つまり土でできたものでないといけない。銀やブリタニア・メタル製のポットでは味が落ちる。」
ジョージ・オーウェルは、1946年「イヴニング・スタンダード」紙の1月12日付の新聞に、『一杯の美味しい紅茶』の中にそのように書いています。
ここでの「ブリタニア・メタル」は、銀に似せた合金のこと。
また、ジョージ・オーウェルは同じ記事の中で、ケットルをポットに持って行ってはならない、とも書いています。
「ポットをケットルの所に持って行け」と。これは少しでも湯温を下げないための方法として。
ジョージ・オーウェルの『一杯の美味しい紅茶』を読みますと、英国の紅茶が美味しい理由もなんとなく解ってくる気持になってきます。つまり、一杯の紅茶に対する情熱の違いなのしょうか。
「今又白服の見綺麗な二人のウエタアが、銀のポットを持つて何やら飲物を注いで廻つた。」
作家の小栗風葉が、明治三十八年に発表した小説『青春』に、そのような一節が出てきます。
小栗風葉は、「ウエタア」と書いてあるのですが、たぶん「ウエイター」のことかと思われます。
それはともかく、明治三十年代には、すでに「ポット」の言葉が用いられていたのでしょう。
「一回終ると、アラスカへ一人で行く。ポット入りのスープと、マトンの料理、シュガーコーンと、プディング。」
『古川ロッパ昭和日記』に、そのように出ています。昭和十一年四月十六日、木曜日のところに。
これは名古屋での昼公演が終った後のランチとして。その時代にはポットでスープを出すことがあったのでしょう。「アラスカ」はレストランの名前。
古川ロッパはその前の日にも、アラスカへ。
「アラスカへ藤山と行く。冷たいコンソメにレモンジュースを入れたのが先づ美味い。白い魚のコキールとビフテキを食べた。」
四月十五日の『日記』にそのように書いてあります。名古屋での古川ロッパは、「アラスカ」がお気に入りだったのでしょうね。
ポットが出てくる小説に、『愛という名の訣れ』があります。2000年に、英国の作家、ジョアンナ・トロロープが発表した物語。このジョアンナは、有名な作家、アントニー・トロロープの曾孫にあたる人物なんだとか。
「分かっているわよ」こちらを向くとティーポットとアランのコーヒーのマグにお湯注いだ。
これはママが紅茶を淹れてくれている場面。また、ジョアンナ・トロロープの『愛という名の訣れ』には、こんな描写も出てきます。
「下にはジーンズとポロネックの薄いグレーのセーターを着ていた。ポロの襟の中に手を回した。」
これは「ソリオン」の様子として。
「ポロネック」polo neck
は、イギリス英語。アメリカ英語でいうところの「タートルネック」に相当します。古い日本での言い方なら、「徳利首」でしょうか。
どなたか純白のポロネックのスェーターを編んで頂けませんでしょうか。