卵は、エッグのことですよね。卵はまた「玉子」とも書くようですが。
卵の種類にもいろんなものがあります。鶉の卵だとか。これは蕎麦を食べる時に、添えたりもしますね。
でも、ごくふつうに卵といえば、鶏卵でしょうね。鶏の卵であります。
卵一つあれば、茹で卵に。卵二つあれば、目玉焼に。卵三つあれば、オムレツに。スクランブルド・エッグだって作れるでしょう。
江戸時代にも卵料理はあったらしい。たとえば、「玉子ふわふわ」とか。
「たま子をあけて玉子のかさ三分の一だし たまり いりざけをいれて よくふかせて出し候。かたく候へばあしく候。」
江戸、寛永二十年に出た『料理物語』に、そのような一節があります。無理矢理、今の言葉に近づけるなら、「玉子とじ」でしょうか。たしかにふわふわ状態の玉子は美味しいものです。
たとえば、玉子丼。玉子丼も玉子のふわふわがよろしい。つまり、玉子への火の通り加減なんですが。
「渡辺 篤とのカットが終ると、もう昼。代食といふんで、玉子丼いう奴。」
『古川ロッパ昭和日記』に、そのように出ています。昭和十五年二月二十三日、金曜日のところに。これは砧撮影所での昼食として。
この日の古川ロッパの夕食は。
「綴方食堂へ行つて、ブリの焼いたのに、オクラで二杯飯を食ひ、おしるこ屋へ寄り田舎を食ふ。」
そんなふうに書いてあります。ここでの「田舎」が、田舎汁粉」であるのは、言うまでもないでしょう。
玉子丼にもう一手間加えますと、親子丼にも。
「晩 親子丼(飯ノ上二鶏肉ト卵ヲカケタリ) 焼茄子 ナラ漬 梨一 りんご一 」
正岡子規の『仰臥漫録』に、そのように出ています。明治三十四年十月一日の『日記』に。
では、この日の昼はどうだったのか。
「マグロノサシミ 粥三ワン ミソ汁 ナラ漬 林檎一 ブダウ一フサ 」
そんなふうに書いてあります。
この正岡子規の『日記』を読んでおりますと。「マグロノサシミ」がよく出てきます。たぶん子規は鮪の刺身がお好きだったのでしょう。
卵が出てくる小説に、『博物館の裏庭で』があります。1995年に、英国の作家、ケイト・アトキンソンが発表した長篇。
「バンティは朝ごはんにポリッジとトーストをつくり、卵もゆでてくれる。」
ここでの「バンティ」は、物語の主人公、「ルビー」のお母さんなんですが。
この物語の時代背景は、1950年代。場所は、イングランドのヨーク。それというのも、著者のケイト・アトキンソンは、1951年にヨークで生まれていますので。つまり、1950年代のヨークの、風俗史にもなっているわけですね。
「アルマ・コーガンみたいな顔をしているけれど、フロックコートはきて、いなくて」
アルマ・コーガンは当時人気のあった英国のポップ・シンガー。ただ、ひたすらに、懐かしい。あるいは、また。
「黒塗りの大型オースティン・プリンセスに乗りこめるのは」
とか。「オースティン・プリンセス」は、1957年に登場した大型サルーンの名前。1950年代の勉強にもなります。
「ストライプのついたブルーのウールのスカート、黄色のセーター、ウインター・コート、手袋、スカーフ、毛糸の帽子(タモシャンター型)だ。」
もちろん、ルビーの装いとして。
「タモシャンター」tam o` shanter
は、もともと「シャンター村のタム」の意味。これはスコットランドの詩人、ロバート・バーンズの詩にはじまった名前なのです。スコットランドの民族帽。英語としては、1840年頃から用いられているんだとか。
どなたかニットのタモシャンターを作って頂けませんでしょうか。