ハットンは、人の名前にもありますよね。ふつう、Hatton と書いて、「ハットン」と訓むことが多いようですが。
たとえば、ベティ・ハットン。以前、アメリカの映画女優だったお方。1921年に、ミシガン州に於いて、誕生。
よく識られているのは、1950年の映画『アニーよ銃をとれ』でしょうか。この映画の中で、ベティ・ハットンは「アニー・オークレー」の役を演じて、好評。
『アニー・オークレー』は、1946年のミュージカル『アニーよ銃をとれ』の映画化なんですね。ミュージカルの作詞作曲は、アーヴィング・バーリン。劇中の、『ショウほど素敵な商売はない』は、大ヒットしたもの。今もスタンダード・ナンバーになっています。
ミュージカルや映画でのアニー・オークレーは、実在の人物。アニー・オークレーは、1850年代、「ワイルド・ウエスト・ショウ」で人気のあった射撃の名手。
アニー・オークレーの本名は、フィビー・アン・モーゼズ。
アニーがはじめて銃を手にしたのは、八歳の時のこと。庭にやって来たリスを一発で仕留めたんだとか。ここからアニーは狩猟に目覚めて。獲物を追って、追って。近くのホテルやレストランに獲物を卸して、家計の助けにしたという。
アニー、十五歳の時に、ある射撃大会に出場。みごと優勝。優勝候補だった名人のフランク・E・バトラーを破って。
フランク・E・バトラーはその後、アニーに求婚して、結婚もしています。
1885年からは、「ワイルド・ウエスト・ショウ」に出演。トランプのカードを宙に撒いて、下に落ちるまでにすべてのカードに穴を空けたんだそうですね。
今、英語辞典で、「アニー・オークレー」を引いてみますと、「無料切符」の訳が出ています。これはアニーの妙技から生まれた言葉なのです。
アニーの得意技に、口に咥えた葉巻の火を消すというのがありました。舞台の上では、フランクが葉巻を口に咥えて。それを銃で撃って、消す。
このアニーの藝に興味を持ったのが、当時のドイツ皇帝。ウィルヘルム二世。ぜひ舞台の上で、モデルになってみたい。周りの人々は静まりかえったらしい。
でも、アニーはいつものように、皇帝の咥えた葉巻の火を消したそうですが。
アニー・オークレーの藝名がどこにはじまっているのか。これについてもいろんな説があるようですが。そのひとつに。「シカゴ説」があります。ある時、アニーがシカゴで電話帳を見ていて、「オークレー・ブールバード」を発見。以来、「オークレー」を藝名にしたんだとか。
えーと、ハットンの話でしたね。ハットンが出てくる短篇に、『ジョコンダの微笑』があります。英国の作家、オルダス・ハックスレーが発表した物語。ジョコンダの微笑とは、つまりは「モナリザ」のことなのですが。ちょっとミステリ風味の小説でもあります。
「マニキュアのゆきとどいた白い指で、口ひげを撫でてみた。」
これは主人公の、ヘンリー・ハットンが自分の顔を鏡に写している場面として。
また、『ジョコンダの微笑』には、こんな一節も出てきます。
「ハットンは足をつっぱって椅子をのけぞらせ、パナマ帽をあみだにするといった格好で、避暑客気分を満喫しようとしていた。」
これはサウスエンドの突堤での様子として。
どなたか1920年代のパナマを復活して頂けませんでしょうか。