ビルと一越縮緬

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ビルは、ビルディングのことですよね。西洋式の建物ですから、「ビルディング」なのでしょう。このビルディングを短くして、「ビル」。意味はこれで充分伝わります。

🎶 紅い夕陽が ガードを染めて ビルの向うに 沈んだら

昭和三十年に、宮城まり子が歌ってヒットした『ガード下の靴みがき』に、そんな歌詞がありましたね。
戦後まもなくの東京では、街のいたるところに、靴磨きがいたものです。たいていは男の子が多かったのではないでしょうか。
今も靴磨き、いないわけではありませんが。多くはおじさんかおばさんになっているようですが。

「今日はよいお天気で、ビルの三階の窓から、麻布や赤坂の高台の木立ちが間近かに見えます。雨上りのせいでしょうか。」

昭和二十五年に、作家の外村 繁が発表した小説『最上川』に、そのような文章が出てきます。
これは、素子から、悌吉に宛てた手紙の内容として。素子は、通信社に勤めている女性という設定になっているのですが。
この手紙を素子からもらった悌吉は、思う。
「新仮名遣いだな」と。昭和二十四年頃には、まだ新仮名遣いが珍しく思えたのでしょうか。昭和二十五年以降は、だんだんと新仮名遣いに代ってゆくのですが。
この手紙の後、素子は悌吉と新橋駅で、待ち合わせを。その時の素子の様子。

「そこに麻の上衣、だんだら縞のビーチシャツに、焦茶のボヘミアンタイを締めた、素子が立っていた。」

昭和二十四年頃には、若い女性が結ぶくらいに、ボヘミアンタイは流行っていたものと思われます。

「もう和子は、会社へ出かけなくてもいい。いちばんに着いて、ビルの守衛の小父さんの部屋に鍵を貰いに行かなくていい。」

庄野潤三が、昭和四十六年に発表した小説『絵合せ」に、そんな一節が出てきます。
思えば、「ビル」の言葉も長い間、親しまれてきたわけですね。

「丸の内から馬場先門にかけてのビルディング街は、古風な煉瓦館がつづいて、研究所もその一つであった。」

柴木好子の小説『丸の内八号館』に、そのような文章が出てきます。柴木好子は、「ビルディング」と書いてあるのですが。これは、「五城経済研究所」の入っている建物の説明として。

柴木好子の短篇には、『隅田川』もあります。この『隅田川』の中に。

「小学校の入学式の着物は紺青の一越ちりめんの紋付で、元禄袖の両面だけ下半分を染め分けて、さくら、あやめ、菊、水仙と四季の花を描きだした。」

柴木好子は、そんなふうに描写しています。

一越縮緬は、平織の絹地。ここでの「一越」は、もともと「緯糸」のこと。撚りの強い糸で織る生地。ただし、右撚りの糸と、左撚りの糸とを、交互に配するところに特徴があります。

「きょうのハマの着物は、銀鼠の一越縮緬に、黄色い塩瀬の名古屋帯を締めているが、まず和服としては、銀座でも一流の女給に匹敵する。」

井上友一郎が、昭和二十八年に発表した小説『湘南電車』に、そのような描写が出てきます。

「ハマ」銀座の女。二十九歳。これから、箱根の強羅に。「二等車」で。二等車は今のグリーン車でしょうか。
どなたか一越縮緬で、上着を仕立てて頂けませんでしょうか。

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