パンと靴下

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パンの好きな人、多いですよね。昔、NYに「フレイシュマン」というパン屋があったんだそうです。ブロードウエイ十一丁目の角に。

この「フレイシュマン」が人気になる。毎晩11時になると、その日に売れ残ったパンを無料で配ったから。

「フレイシュマン」の息子に、ラオール・フレイシュマンが。ラオール・フレイシュマンはボンボン気取りのところがあって、よくアルゴンクイン・ホテルに出入りしていた。このアルゴンクインで知り合いになったのが、ハロルド・ロス。ハロルド・ロスは、『ニューヨーカー』誌を創刊した人物ですね。1924のこと。ロスはラオールに新雑誌計画を話す。で、ラオールは二万五千ドルを出資することに。

これによって『ニューヨーカー』誌創刊。1925年2月17日のことです。『ニューヨーカー』誌の全盛期には、全米の雑誌の中で、ベスト・テンにランキング。広告料金の収入で。たとえば1968には、年間二千七百四十万万ドル。

『ニューヨーカー』は原則として、NYの話題。しかも文章を読ませる地味な雑誌。それが全米でベスト・テン入りするのですから、奇跡でしょう。

ハロルド・ロスは文章の質に吟味を重ねた。たぶん『ニューヨーカー』に掲載された文章より、ボツにされた文章のほうが、はるかに多かったでしょうね。

ハロルド・ロスと仲良しだったのが、ジェイムズ・サーバー。というより、ジェイムズ・サーバーは一時期、『ニューヨーカー』に編集者として、席を置いていたのですが。

そのジェイムズ・サーバーが書いた随筆に、『結婚生活十則』があります。夫は妻にどう心得るかを、十章に纏めたもの。その中のひとつに、「忘れものしないこと」が。そして忘れやすいものの例として。

「自分のカフスボタン、カラーボタン、黒の絹靴下……」

もっともジェイムズ・サーバーはこの原稿を書いていたので。奥さんから言われていた、「白ワインを冷やしておくこと」を忘れていたそうですが。

まあ、それはともかく。一度でいいから、絹靴下で、パンを買いに行きたいものですが……。

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