ビアード(beard)

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天然の装身具

ビアードは髭のことである。ビアードbeard にも広い意味と狭い意味とがある。広くは「髭」全体を指す。狭くは、「あご髭」の意味の意味になる。

「口髭」には、ムスタッシェ moustache の名前がある。「ムスタッシェ」は、mustacheとも綴る。これはイギリス風とアメリカ風の違いである。はるか遠いギリシア語の「ムスタックス」 mustaxと関係があるという。フランスでも「ムスタッシェ」moustache となる。

「頬髭」は、ウイスカーズ whiskers 。1970年代のエルヴィス・プレスリーが得意としていたような頬髭は、「サイドバーンズ」 sideburns と呼ぶべきかも知れない。アメリカではよくサイドバーンズという。

その昔、南北戦争の頃、北軍の将校に、アンブローズ・エヴェリット・バーンサイドという人物がいた。このバーンサイドは立派な頬髭を蓄えていた。それで後に、「サイドバーンズ」の言葉が生まれたのだ。嘘のような本当の話である。

それはともかく髭には、ムスタッシュと、ビアードと、ウイスカーズとがあるわけだ。日本語ではこれにそれぞれ、「髭」、「鬚」、「髯」の字を充てるのであるらしい。

「頭髪とひげの流行は幾変遷したが、こんにちの頭蓋の形まるだしの頭、あるいはひげなしの顔は、いつまで続くものだろうか。」

パスカル・セッセ著『服飾の歴史』 ( 1964年刊 ) にはそのように書いてある。日本での例をとっても、明治天皇以前の天皇に髭の姿は珍しくない。が、平成天皇は髭を蓄えてはいない。これからの天皇はどのようになるのか。

古代エジプト王は髭をつけた。地位の象徴として。地位の象徴であるから、女王の場合にも髭をつけることがあった。古代エジプト人はきれい好きで、頭髪と髭はすべて剃った。剃った上で鬘をかぶり、髭をつけたのだ。

古代ギリシアのソクラテスには、見事なあご髭があった。それは白く、豊かなあご髭。古代ギリシアでの髭は賢者のしるしとされたものである。ソクラテスの弟子であるプラトンや、アリストテレスなども皆、ソクラテス風のあご髭を生やしている。

英国王、ヘンリー二世 ( 1154~1189年在位) の肖像画を見ると、ふさふさと髭を蓄えている。時代と場所さえ違うものの、髭の見事さでは似たようなものである。つまり中世の英国でも、髭の習慣はあったのだ。

「一人の貿易商がいた。二本に分かれたあごひげをはやして、まじり色の服を着ていた。」

チョーサー著『カンタベリー物語』の一節である。『カンタベリー物語』は1389年頃に書かれたとされる未完の傑作。ここに登場する「貿易商」は、いわばデザインされた髭を生やしていたのであろう。ソクラテス風の無雑作な、ほとんど伸ばしぱなしの髭とは異なっている。

デザインされた髭というなら、英国王、チャーチルズ一世を忘れてはならない。チャーチルズ一世は歴代の英国王の中でも、とくにお洒落で知られていた。その肖像画を見ると、ヴァン・ダイク髭になっている。ヴァン・ダイク髭は細く長いムスタッシュと、これまた細長いビアードとの組み合わせ。多くヴァン・ダイクによって描かれたので、その名前がある。ただしヴァン・ダイク自身は無髭だったらしい。

デザインの極限は、「アンペリエール」であるかも知れない。ナポレオン三世が好んだので、その名前がある。極端に細い口髭。それが糸のように水平に伸びているのだ。もちろんワックスなどで固めていたのであろうが。

ナポレオン三世の「アンペリエール」もまた、権威の象徴であったに違いない。しかしむしろ反権威のための髭がなかったわけではない。チャップリンの、小さな、厚い口髭は、滑稽さを目的とした髭であった。

「 とりあえず小さな口ひげをつけることにした。こうすれば無理に表情を隠す世話もなく、老けて見えるに違いないと考えたからである。」

『チャップリン自伝』 (1964年刊 ) には、そのように出ている。1914年頃の話である。

一方、洒落者の髭で有名になったのが、「コールマン」。映画俳優、ロナルド・コールマンが好んだ、薄く、短い、口髭。この洒落者の口髭は、アドルフ・マンジューやデイヴィッド・ニーヴンにも引き継がれた。ことにデイヴィッド・ニーヴンは、英国紳士を演じるのにも、都合が良かったからだ。

もし芸術的な髭というなら、ダリのものであろう。サルヴァドール・ダリの上に屹立する髭は、1940年代末からのことと思われる。

「ダリの人物、この服も、この髭も、きわめて重要にもの。私は正真正銘のダリになりたいと思っている。」

これはダリ自身の言葉。ダリの髭はダリになるための、「装身具」だったのだ。

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