ギャバディン(gaberdine)

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水の鎧

ギャバディンはギャバジンのことである。ギャバジンを略して、「ギャバ」ともいう。ギャバディンはレインコートやトレンチ・コートに多く使われる、丈夫な綾織地のこと。

ギャバディンはたいていコットンで、右綾に仕上げられる。防水性の高い生地としても知られる。ギャバディンにはふたつの綴りがある。gaberdineと、gabardineとの。なぜ二種の書き方があるのかは、後でふれることになる。

「ギャバディン」そのものは、古い。少なくとも中世には「ギャバディン」があったものと思われる。

「そして私のユダヤ上着に唾をはきかけなすった。」

これはシェイクスピア作『ヴェニスの商人』の第三幕に出てくる。もちろん、シャイロックの科白である。この部分の原文は、「ジューイッシュ・ギャバディン」になっている。シャイロックはユダヤ人という設定であるから。『ヴェニスの商人』は、1597年頃の作とされる。少なくともその時代には「ギャバディン」があったことになる。

ただしこの「ギャバディン」は、大外套のこと。たいていは黒無地で、着丈は足首まで。フードがついて、全体にゆったりとしたシルエットのものでもあったという。

「ギャバディン」は、古いスペイン語の「ガバルディーナ」 gabardina から来ているのではか、そんな説もある。「ガバルディーナ」は、「人間を保護するもの」の意味があったという。

それはともかく、中世の「ギャバディン」が多目的な大外套であったのは、まず間違いないだろう。そして想像を逞しくするなら、この大外套はウールによる綾織地であったもかも知れない。しかしこの大外套である「ギャバディン」がその後、一般化したわけではない。むしろ歴史の陰にひっそりと隠れたのであろう。

「ギャバディン」が意外な形で目を覚ますのは、十九世紀後半のことである。それは英国、ハンプシャー州の、トーマス・バーバリーによって。トーマス・バーバリーが地元で生地屋を開いたのは、1856年頃のことである。その頃、トーマス・バーバリーが必要を感じていたのは、ゴムを使わない防水地であった。

トーマス・バーバリーが参考にしたのは、羊飼いの着るスモックであった。それは麻のスモックで、羊飼いは雨の日でもそれ一枚で凌いでいたのである。麻に限ったことではないが、繊維は水を含むと膨張する。一本一本の膨張は生地の緻密となって、それ以上には水を通さない。このことが何かに活かせられるのではないかと、バーバリーは考えた。

その結果、1888年になってゴムを使うことのない防水地が、誕生。その名前に「ギャバディン」を選んだのだ。トーマス・バーバリーは、その昔、全天候用の大外套があったことを思い出したからでもあろう。

1888年には防水地の特許を得、1902年には「ギャバディン」を商標登録している。そしてその時に、gaberdineを、gabardineに変えたのである。今、ギャバディンにふたつの綴りがあるのは、そのためなのである。

「ギャバディンには様ざまな種類があるが、間違いなくスポーツ・ウエアに向くものである。」

1908年『タイムズ』4月14日号の一文。これは明らかに大外套ではなく、生地としての「ギャバディン」であろう。本来は防水のための生地であったが、その丈夫さ、扱いやすいさゆえ、すぐに人気の素材となったものと思われる。

「今日は軽快なギャバルジンのオーヴァーを一着に及んでいる。」

獅子文六著『浮世酒場』 ( 1936年刊 ) に出てくる一節。昭和十一年頃の日本には、「ギャバルジン」の言い方があったのだろうか。そうかと思えば少し後に、こんな表現が出てくる。

「ズブ濡れのバーバリイの襟を立ててO君が這入ってきました。」

1936年頃の獅子文六の頭の中では、「ギャバルジン」と、「バーバリイ」とはまた別のものであったのか。あるいは国産品と舶来品との違いであったのか。

「彼女は素晴らしい仕立ての、ギャバディン・スーツを着ていた。」

エラリー・クイーン著『ハートの4』 (1938年刊 ) に出てくる描写。ギャバディンはなにもコートだけでなく、スーツをはじめその用途は広い。

「ギャバディンは右上がりの綾織物で、一般にコットンやウール地に仕上げられる。が、時にシルクのギャバディンもある。」

ハーディ・エイミス著『ファッションのABC』 (1964年刊 ) の解説。これ以上、なにをつけ加えることがあろうか。

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