鰻は美味しいものですよね。たとえば鰻丼とか。
鰻丼を考えたのは、大久保今助という人なんですね。宮川政運著『俗事百工起源』という本にそんな話が出ています。
時は文化年間(1804~1817年)のこととか。その頃は、「鰻飯」といったらしい。
大久保今助は、芝居小屋の主で。いつも木綿の質素な着物だった。でも、芝居が当たると、出演者には祝儀をはずんだそうです。
大久保今助は芝居が好きで、鰻が好きで。それで昼どきになると、鰻をあつらえる。でも、届けられた時には鰻を冷めている。
それで、炊きたての飯の上に鰻を乗せて運ばせるようにした。これがとても具合が良かったので、その後「鰻飯」が流行ったという。
ただし、大久保今助は「鰻飯」は百文と決めていたので、鰻屋のほうでもそれ以上の値がつけられなかった。永い間、鰻飯は百文だったそうですね。
また、別の本には、江戸には鰻屋があまり多くはなかった、とも。
尾張町の「大和田」、小舟町の「山利」、湯島の「穴」などが、比較的古くからの鰻屋であった、と。斎藤彦麿著『神代余波』には、そんなふうに出ています。
少ないといいますと、八つ目鰻を食べさせてくれる店。中には「八つ目鰻はビタミンの宝庫」などと、好物にしている人もいるみたいですが。
ところで八つ目鰻はなにも日本だけではないようですね。
「チェヴィンはナナツメとも呼ばれるヤツメウナギの小さいのや、ウナギの子にも食いついてきます。」
C・コットン、R・ヴェナブルズ著 飯田 操 訳 『釣魚大全』の、一節。もちろんどうやって魚を釣るかの話なんですね。また、こんな説明も出てきます。
「ウーステッドの撚り糸やモカドの切れ端……」
これはフライの作り方について述べているところ。「モカド」もウールの一種なんだとか。
少なくとも、1675年頃、ウーステッドが毛針に使われていたようです。
軽い、サマー・ウーステッドを着て。鰻を食べに行きたいものですが……。