シェル・ボタン(shell button)

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真珠の服飾り

シェル・ボタンは貝ボタンのことである。時に、「マザー・オブ・パール・ボタン」とも。マザー・オブ・パールは、貝殻の内側の真珠層のことで、その真珠層を使ってのものであるから、「マザー・オブ・パール・ボタン」なのだ。

貝ボタンはよくサマー・スーツに付けられたりすることがある。もちろん盛夏用の替上着にも貝ボタンが使われたりもする。

たとえばシアサッカーのジャケットなどにも、シェル・ボタンのほうが、軽やかで、美しく感じられるものだ。

シェル・ボタンはなにもサマー・ウエアだけでなく、シャツ用としては年間を通して用いられる。前開き、袖口、貝ボタンでないシャツのほうが珍しくのではないか。もちろん時と場合によってはプラスチックなどの樹脂製ボタンのこともある。が、あれもまた、もともとは貝ボタンの代用としてはじまっていること、言うまでもない。

「貝釦は貝殻でつくったボタン。貝ボタンの素材となる貝は、おもにメキシコアワビ、黒蝶貝、白蝶貝、高瀬貝、広瀬貝などで、素材としての原貝は輸入でまかなわれる。」

文化出版局編『服飾辞典』にはそのように解説されている。

ところでシャツに貝ボタンを付けるのは、いつ頃からはじまっているのか。おそらく十九世紀はじめのことではないだろうか。それというのも、十八世紀以前のシャツは、紐結びであることが少なくなかったからである。

英国王、ジョージ四世が着用したシャツが、今なお現存している。1827年頃のものと思われる。このジョーンズ四世のシャツには、貝ボタンが使われている。シャツ用のシェル・ボタンとしては、比較的はやい例であろう。

これらのことから想像するに、十九世紀初頭、急速に、マザー・オブ・パール・ボタンがシャツに付けられるようになったものと思われる。

「高瀬貝は巻き貝でボタンの原料として最も多く使われています。白っぽい淡い虹色の色調が特徴です。 ( 中略 ) 産地はインドネシア、ソロモン諸島、ニューギニア、ヤップ島、ポナペ島、ニューカレドニア、フィジー諸島です。」

阿部和江編『ボタン辞典』では、そのように説明されている。

高瀬貝が巻き貝であるのに対して、白蝶貝は二枚貝。白蝶貝は高級貝ボタンとされる。白蝶貝のみならず、「茶蝶貝」もあれば、「黒蝶貝」もある。ただしそれは光沢の美しい、深い色合いのものであるのだが。

それはともかく、シャツについている貝ボタンをよく吟味すれば、およそそのシャツがどのくらいのクラスであるのかが、推理できるのである。たったひとつの貝ボタンが、シャツ以上にシャツを語ることもあるのだ。

二十世紀のはじめ、オーストラリアはマザー・オブ・パール・ボタンのメッカであったという。オーストラリア、ウエスト・オーストラリア州、ブルームの町は白蝶貝をはじめとする貝ボタンの集散地であった。

一説に、当時白蝶貝の80%はブルームから輸出されたとのことである。このオーストラリアでの白蝶貝の採取は実際には、木曜島で行われた。「チューズデー・アイランド」、略して「T.I 」とも呼ばれる、小さな島で。

木曜島では船を出して、ダイヴァーが潜り、貝を採る。そのダイヴァーのほとんどが、日本人であったのだ。明治の頃の話である。なぜなら日本人は勤勉で、より深くまで潜ることができたから。

これらのダイヴァーの多くがなぜか和歌山県出身者で、ために後に和歌山で貝ボタン作りが盛んになるのである。

貝ボタンを巡る話は尽きないが、貝ボタンをもっとも有効に利用したのは、「パーリーズ」である。パーリーズ pearlies はもうひとつのロンドン名物。とにかくヴィクトリア時代からの伝統であるというから、古い。パーリーズの正体は、下町の物売り。彼らが全身、パール・ボタンで飾った服を着るので、「パーリーズ」。その代表者を、「パーリー・キング」とも、「パーリー・クイーン」。

パール・ボタンがシェル・ボタンであること、言うまでもないが、一着に三千個から、四千個の貝ボタンが並ぶ様は、圧巻である。

ロンドンのパーリーズの貝ボタンも、昔はほとんど日本製だったという。

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