高峰ときて、女優とくれば、高峰秀子でしょうね。
もっとも「高峰三枝子」を想うお方も少なくないでしょう。高峰三枝子も高峰秀子も、それはそれはお美しいお方でしたね。
ここでは少し高峰秀子の話を。高峰秀子のお好きだったものに、カレーライスがあります。もう一歩言葉を進めると、カレーライスを作るのが、お上手だった。これはどうもご主人の松山善三のためにせっせと作ったからであるらしい。高峰秀子の随筆、『眼から芽が出た』に書いてあります。
ある時、高峰秀子、松山善三夫妻はコロンボへ行った。コロンボで、サファイアを買った。サファイアの後で、コロンボで一番という店でカレーを食べた。それは鶏一羽の入ったカレースープであったという。とにかく店の前をゆっくり象が歩いて風景の中での、カレー。そりゃあ、美味しいでしょう。
「カレーライス」なのか、「ライスカレー」なのか。これもまたよく話のネタになるところですよね。カレーライスでもライスカレーでもなくて、「カレー丼」の話。
「藪そばに寄りカレエ丼食ふ。 ( 中略 ) この家は特製と稱し、なかなか美味なり。」
川端康成の『日記』には、そのように出ています。大正十三年三月三十日のところに。原文のままです。当時、川端康成はときおり「藪そば」に顔を出していたようです。それはともかく大正十三年には「カレエ丼」というのがあったのでしょうね。
話は変わりますが、昭和三十五年六月十二日には、川端康成はニューヨークにいた。
「テツフアニイ寳石店へ行つて、さげ時計の裏に、「K・Y・一九六0・ 六・十一」と彫ることを頼んだ。」
六月十二日の『日記』にそう書いています。6月11日は、川端康成の誕生日。時計は、パティック・フィリップだったらしい。
「提げ時計」。昔はそんなスタイルの時計もあったそうですね。