ウイットネスという言葉があるんですってね。ふつう、「介添人」とか、「立会人」の意味になるんだそうですが。
十九世紀のヨーロッパで流行したものに、決闘があります。「デュエル」
d u e l 。イギリスはもちろん、たいていの国で「デュエル」と言ったらしい。
二十一世紀から眺めますと、野蛮この上もない流行であります。が、当時の男たちは本気で「デュエル」を信じ、実際にもあったというのですから、驚く他ありません。
どうして決闘が流行ったのか。いずれが正しいかは神がお裁きになる、という考え方に基づいてという。
今でも西洋の骨董品屋などに、小さな一対の双子ピストルが並んでいたりします。「デュエル・ピストル」。決闘用のピストルなんですね。
ほんとうに決闘した詩人に、ロシアのプーキシンがいます。プーキシンは、1799年5月26日、モスクワに生まれています。アレクサンドル・セルゲーヴィッチ・プーキシンとして。
1837年のこと。当時、ロシアにダンテスというプレイボーイがいまして。ジョルジュ・ダンテスは、フランスの軍人。その頃は亡命中で、ロシアにいた。ダンテスはあまりのプレイボーイでありすぎて。そんなことから、決闘に。
1837年1月27日、午後4時。場所はペテルブルク郊外の、ノーヴァヤ・ジェレヴニャというあたり。白樺の森の中で。ダンテスはピストルを発射して、プーキシンに命中。
この時の怪我がもとで、プーキシンは同じ年の1月29日に、世を去っています。三十七歳でありました。
いやあ、決闘なんてない時代に生まれてきてよかった。野蛮で、下品なの、嫌いですよね。
ところで、「ウイットネス」が出てくる小説に、『剣の五』があります。G・K・チェスタトンが、1920年代に発表した短篇に。
このフランスふうにいえば“ウイットネス” は長身で、恰幅のよい男で…………………。」
もちろん決闘の場面でのウイットネスなのですね。同じくG・K・チェスタトンが、1921年に発表した短篇に、『塀の穴』が。この中に。
「背は高い。たくましいからだの線を強調するように、やや腰の部分がくびれた服のボタンをきちんとかけてある。ボタン穴には赤い花が挿してある。」
これはホーン・フィッシャーという人物の着こなし。おそらくウエイストを絞ったラインになっているのでしょう。
決闘ができないためにも、ウエイストの細い服を着たいものですが。