市松模様は、チェッカーボードのことですよね。たとえば、白と黒との正方形が、交互に配されている柄のこと。
むかし、モッズ・ルックが話題になった時、市松模様のシャツなどもあったものです。
「市松模様」の呼び方は、寛保元年頃にはじまっているとか。つまり、市松模様自体の柄は、もっと古い時代からあったんだそうですね。
ひとつの例として、中世にも「霰」の名前があった。この「霰」もまた今の市松のことであったという。それから後には、「石畳」。市松柄は、「石畳」と称された。
寛保元年に、「塩屋判官古郷の錦」という芝居が人気になって。初代佐野川市松が、楠 正成の役を演じた。この時、佐野川市松は、白と紫の石畳の袴を。
そのために「塩屋判官古郷の錦」以降は、市松模様と呼ばれるようになったんだそうですね。
「村長の家は黒と白の市松模様の壁をめぐらせて暗く月の光を遮っていた。」
1958年に、大江健三郎が発表した『芽むしり仔撃ち』の一節にも、そのように出ています。
市松模様はなにも着る物だけでなく、生活一般にもよく見られます。一例ではありますが。白トリュッフと黒トリュッフを市松模様に並べたひと皿だとか。
市松模様が出てくる小説に、『歴史』があります。1967年に、フランスの作家、クロード・シモンが発表した物語。
「窓と窓とのあいだの円柱は薄紫とオーカー色の市松模様にすっかり塗りこめられており……………………。」
市松模様はどうも紫と関係があるみたいですね。
また、『歴史』にはこんな描写も。
「彼の頭がほぼ水平に前につき出た烏賊胸のうえにみえるのだが………………………」。
これは、とあるレストランで食事をしている男の様子。イカ胸のシャツを着ていることは、ブラック・タイで、フランスでいうところの、「スモーキング 」なのでしょう。
スモーキング には、どうしてイカ胸のシャツなのか。堅く、堅く糊づけすることによって、「下着」ではないことを強調したかったから。それくらい、シャツは下着という観念が浸透していたわけですね。
イカ胸シャツを着た時には、せいぜいちいさな市松模様のカフ・リンクスを留めるくらいのものでしょうか。