ブルゴーニュは、フランスの地方名ですよね。
B o urg ogn e と書いて、「ブルゴーニュ」と訓むんだそうです。
ブルゴーニュはまた、ワインの産地でもあります。一方にボルドオがあれば、もう一方に、
ブルゴーニュがあるというわけですね。
ブルゴーニュ・ワインの中でもことに高名なのが、「ロマネ・コンティ」。ざっと一本百万円からというのですから、出るはため息ばかり。「液体の宝石」という外ありません。
「ロマネ・コンティの畑は、標高260メートル東向きのなだらかな斜面の中腹にある。」
ジャッキー・リゴー著『ブルゴーニュ 華麗なるグランクリュの旅』には、そのように出ています。
ロマネ・コンティの畑が佳いワインを生むことは、十三世紀から識られていたらしい。でも、実際に「ロマネ・コンティ」と命名されたのは、1760年のことだったそうです。
コンティ公爵が途方のない金額でこの一画を買ってからのこと。
ただし、コンティ公爵は生涯、一本のワインも売ることなく。ただひたすら貯蔵と個人的愛飲のためだけに。
ブルゴーニュが出てくる小説に、『艶笑滑稽譚』があります。1832年に、バルザックが発表した歴史小説。
「或る朝のこと、ブルゴーニュ公の地からの撤退を受け、たっぷり時間に余裕の出来たアルマニャック大元帥殿は……………………。」
バルザックは美食家でもありましたから、ブルゴーニュ・ワインもお飲みになったことでしょう。
では、バルザックの「美服」はどうであったのか。
バルザックの時代。つまり十九世紀はじめの巴里での一流店は、「ビュイッソン」であったらしい。「B u iss on」。ジャン・ビュイッソン経営の、タイユール。
バルザックは何事においても一流好みで、服もすべて「ビュイッソン」に仕立てさせたと、伝えられています。
パリの、リシュリュー通り108番地にあったのが、「ビュイッソン」。それは、リシュリュ通りと、モンマルトル大通りが交わる地点にあった、高級店。
バルザックは白い部屋着さえ、「ビュイッソン」で仕立てています。あとは推して知るべし。
ジャン・ビュイッソンとバルザックは単に、主人と顧客という関係をこえて、親友でもありました。ジャンはなにかにつけて大雑把なバルザックの面倒を、懇切にみていますから。
ある時、バルザックは凝った服を註文して、800フランを請求されています。
また、あるとき。カロリーヌ・マルブーヴという文学少女と、秘密旅行を愉しんでもいます。カロリーヌを男装させて、「少年」にして。
バルザックはいつものように「ビュイッソン」にカロリーヌを連れて行って。フロック一式誂えています。
バルザック著『艶笑滑稽譚』を読んでいると。
「………其の場に遺された一物袋の切れ端や、拍車や、懸章などに依り……………………。」
そんな一節が出てきます。
この「一物袋」には、「ブラゲット」のルビが振ってあります。
「ブラゲット」 br ag u ett e は、中世のパンタロンの前開きのこと。
これは古いフランス語の「ブラグ」 br ag u e から出た言葉。「ブラグ」には「半ズボン」の意味がありました。
フランスの「ブラゲット」は、英語の「コッドピース」c od p i ec e に相当するものです。
まだ裁断技術が幼稚だった頃のパンタロンは、前に別布を取り付け、これを開閉することで、脱ぎ着を楽にしたのであります。
どなたかブラゲットは必要ありませんが、古典的なパンタロンを仕立てて頂けませんでしょうか。